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 今日は、ギルバート様の十八歳の誕生日だ。
 いつもは三人しかいない、白く静かな病室も、今日ばかりは訪問客で賑わっている。かわるがわるお祝いの品を運んでくる人々を、わたしはアンと一緒に病室の隅から眺めていた。一番最初に病室を訪れたのはわたしの上司でもあるメイド長だ。初老にさしかかったメイド長は、きつい皺が刻まれた顔を心なしか緩めていた。持参した色とりどりの花束をギルバート様に手渡し、定規ではかったように綺麗な角度のついたお辞儀をして退出した。
 次に訪れたのは奥様とお嬢様、つまりギルバート様のお母様と妹様だ。まだ七歳のお嬢様は久し振りに兄に会って照れくさくなったのか、最初は奥様にぺたりと貼りついていた。贈り物は星を閉じ込めたような瓶入りのキャンディと、拙い字が綴られた似顔絵つきのバースデーカードだ。奥様からは、淡いブラウンの温かそうなショールが贈られた。ショールを肩にかけられ、キャンディとカードを受け取ったギルバート様に親愛のキスをして、お二人も退出していった。
 最後の訪問客だけは大所帯だった。訪れた人は全員が中年の男性で、でっぷりと太ったおなかを黒いスーツで包んでいる。人数は全員で十人ぐらいだろうか、よく似た風貌で見分けがつかない。見分けがついたのは一人だけ、最初に部屋に入ってきた男性だけだ。以前に演説台に立ったところを見たことがある。ギルバート様のお父様、ギブソン市長だ。恐らくこの男性たちは、この雲上都市を治めるえらい人なのだろう。ギブソン市長はギルバート様のベッドの傍に立ち男たちの方に向き直った。
「皆さまご存知の通り、今日は我が息子ギルバートの十八歳の誕生日です」
 少し芝居がかった口調と身振りで、市長は短い演説を始めた。家族の誕生日を祝っているとはとても思えない、誰かが書いた台本を演じているようなお祝いの言葉が並べられる。他人事のような「おめでとう」に続けて、ギルバート様が感謝の言葉を述べる。
「本日は、私のためにお集まりいただき、ありがとうございます」
 品行方正な好青年は爽やかな笑みを浮かべた。ベッドに横になったままの体勢だが、しっかりした声と大人びた口調で立派に挨拶をする。わたしは感心しつつも、笑顔のギルバート様からそっと目を逸らした。今の笑顔はわたしの好きな笑顔ではない。わたしが好きなのは、もっと優しくて温かくて泣きたくなるくらい幸せそうな顔だ。
 ギルバート様を見ていたくなくて、なんとなくアンの方へ視線を向ける。見上げたお人形の顔は微笑をたたえていた。これこそ作り物の笑顔というやつだ。寒々しいお祝いの席を前にして、彼女だけは何も感じていないのだ。わたしのこのやるせない思いも、男の人たちの腹の中のいろいろな思惑も彼女には関係ない。
 二百年前、アンドロイドは人間の脳を材料に作られた。生きた人間の体から脳みそだけを取り出し、自ら考え行動することのできる人工知能が開発されたのだ。彼らは機械の体とヒトの感情を同時に手に入れた。機械化されたメモリーには何百冊、何千冊分の辞書に匹敵するほどの知識が保存されている。その豊富な知識とヒトの思考能力が合わされば、機械の体に不具合が起きたとしても、自らメンテナンスを行うことも可能だ。古今東西人類が求めてやまなかった永遠の生が現実のものとなった。当時の人々はそう思っていたことだろう。
 永遠の命など、やはり現実には存在しなかった。人工知能を搭載したアンドロイドたちは、時が経つにつれて一人また一人と心を失っていったのだ。開発された当初は人間だったときと同じように感情を現し、人間と一緒に泣いたり笑ったりして暮らしていたのだという。彼らが心を失った理由は今となっては推測するしかできない。機械化された脳に不具合がありうまく動かなくなったのか、ヒトの心が長すぎる時間に耐えられなかったのか、いずれにしてもわたしたちの住むこの雲上都市に現存するアンドロイドは、ほとんどが既に心を失ったただのロボットになってしまっている。アンもそのうちの一人だ。
 もしも彼女にまだ心があったなら、今日のこの日にギルバート様へ何と言葉をかけるのだろうか。
 ギルバート様の体調が芳しくないことを考慮してか、見舞いの訪問客も午後には途絶えた。話し疲れたギルバート様がわたしに人払いを命じたので、わたしは退出せず入口近くに控えることにした。
 白いカーテン越しに午後の温かな日差しがちらちらと光る。ギルバート様はいつものようにベッドの脇にアンを座らせて、うとうととまどろんでいた。意識は半分夢の中へ旅立っているのか、聞こえてくる囁き声はぼんやりとして眠たげだ。
「アン、いつもありがとう」
 わたしの座っている位置からはギルバート様のお顔が見えない。見えるのはアンとつないだ手だけだ。初めてお会いした時から更に肉が落ち薄くなってしまった手は、初めてお会いした時と同じようにアンの手を優しく撫でている。
「今年も誕生日を迎えることができたね。アンのおかげだ」
 アンはこくりと頷いた。いや、頭を下げたのかもしれない。
「来年の誕生日は、もう、来ないだろうな。でも、アンは、俺がいなくなっても、ずっと生き続けるんだ。俺の十八年の人生なんて、アンの長い人生に比べたら、あっという間の出来事だ」
 ギルバート様の言葉が途切れ、小さい欠伸が聞こえる。
「だから、残りの人生は、全部君に使うって、決めたんだ……君の記憶に、少しでも、俺が残る、ように」
 そこまで話し終えると、すぐに穏やかな寝息が聞こえてきた。とうとう睡魔に負けたらしい。見えなくても、ギルバート様の寝顔は目に浮かぶ。愛する人に見守られ、手を握り合って眠りにつくのだ。それが幸せでないわけがない。
 市長邸にお仕えするメイドたち、つまりわたしの同僚先輩がたの間では、ギルバート様のこの「奇行」は病気のせいで子供に戻ってしまった彼のお人形遊びだと解されている。わたしもアンを初めて見たときは自分の目を疑ったし、気味が悪い、狂気の沙汰だという人の気持ちが分からないわけではない。彼女に愛を囁くのは、お皿やフォークに愛を囁くのと同じことなのだ。
 それでも、こうしてギルバート様のお傍に仕えていると、ただのお人形遊びだとは思えなくなる。ギルバート様は本当にこのアンドロイドを愛しているのだ。アンを見つめる目はいつも優しい。愛しげに手を握り、片時も離れずに傍に置き、あの笑顔で笑いかける。心から愛していなければ、あんな笑顔にはなれないだろう。心から愛していなければ、あのお顔を見るたびに、涙が出そうなほど胸が痛くなったりしないだろう。


 ギルバート様の病状は日に日に悪化していった。誕生日から半月もしないうちに、体が食べ物を全く受け付けなくなってしまったのだ。口にすることができるのは水と具のないスープだけで、不足する栄養分は点滴で無理矢理体の中へ流し込んでいる。食べられなくなったことで嘔吐することがほとんどなくなったのだが、その代わり、少しずつ血を吐く量が増えてきた。それも以前のような黒っぽい色ではなく、赤に近い色をしている。診察に訪れたお医者様へそう報告すると、お医者様はひどく難しい顔をした。
「連続で血を吐くようなことがあれば、もう持たないかもしれません」
 血を吐かなくても、もういつその時が来てもおかしくない、とわたしは思った。このところギルバート様の睡眠時間がどんどん増えている。朝はお昼前になるまで目覚めることはなく、日中はまどろみの中、日が落ちる頃には眠りについてしまう。起きている時間の方が短いぐらいだ。体が死に至るための準備をしているのだと思えた。


 ついにその日が来た。
 わたしがギルバート様に初めてお会いした日と同じ、晴れ渡った青空のきれいな日だった。白い壁と白いカーテン、白いシーツの中で、ギルバート様はベッドの上が真っ赤に染まるほど大量の血を吐いた。目がくらむほど濃く鮮やかなその色は、まるでギルバート様の命がそのまま溢れ出したかのようだ。わたしは大変なことになったと焦る一方、心のどこかでああとうとう来てしまったかという諦めにも似た気持ちをも抱いていた。だから、お医者様を呼ぼうとしたわたしをギルバート様が「待って」と止めた時も、わたしはかなり悩んだのだけれど、結局は素直に彼の命令に従ったのだ。
 吐いた血が気管に引っかかってしまっているのか、ギルバート様は横になったまま弱々しく咳き込んでいる。蝋のように白くなった手はアンの右手を握りしめていた。アンは自由な方の左手でギルバート様の背中を撫でていたが、ふいに身じろぎしたギルバート様に遮られて動きを止めた。
 ギルバート様の容体はこうして見ている間にも悪化しているのが分かる。呼吸はおぼつかない状態で、アンの方を見上げる目は焦点が合っていない。ぼんやりとした目つきで、それでもギルバート様はアンに手を伸ばした。震えて力の抜けた手をアンが受け止める。
「アン」
 わたしの耳には、空気の漏れるかすかな音しか聞こえなかった。ギルバート様の口は確かに、飽きるほど呼び続けてきた彼女の名を呼んでいた。じっとギルバート様を見つめていたアンが、目線を二人の重なった手に移す。よく見ればギルバート様の手はゆるく握りこぶしを作っていた。下向きに差し出された手を上に向け、アンの手の上でギルバート様の手のひらを開かせる。
 彼の手が握っていたのは、銀色の指輪だった。
『ギル』
 指輪を認識したアンの声色が変わる。今までに聞いたことのないような親しげな声が、腹の底から絞り出したような激情をはらんだ声が彼女のスピーカーから流れだす。
『愛しています。私も、永遠に』
 指輪を受け取ったアンは、しかしそれを自分の機械の指に嵌めようとはしなかった。作り物の左手の指を右手で握りしめると、勢いをつけて根元からもぎ取ったのだ。ばきり、と固いものの壊れる音がした。いくら機械だと分かっていても、人間の形をしたアンが自ら指を折る光景はなんとも心臓に悪いものだ。わたしは反射的に目を背けたが、ギルバート様は動じることなく彼女を見つめ続けていた。手のひらの上には指輪の代わりにアンの指が一本乗せられた。それが左手の薬指だと気付いたのは、ギルバート様があの笑顔を浮かべ、機械でできた指を握りしめたときだった。
『これから何千年生きたとしても、あなた以外のものにはならないわ』
 頷いたギルバート様の額にキスを落とす。ギルバート様は目を細め、眩しそうにアンを見上げながら、もう一度口の動きだけで彼女の名前を呼んだ。その口が閉じる間もなく、ごぼりと水音を立ててまた新たな血が吐き出される。ギルバート様の目から急速に光が失われていくのに気付き、わたしは慌ててきびすを返し病室を飛び出した。ご主人様の命令でも、これ以上放ってはおけない。もう手遅れかもしれないが、今更お医者様を呼んだって無駄かもしれないが、万に一つでも持ち直す可能性があるかもしれない。あってほしい。
 病室へ駆けつけたお医者様は、ギルバート様を一目見て首を横に振った。一緒に駆け戻ってきた素人のわたしの目から見ても、ギルバート様が既に亡くなっていることは明らかだった。青い空の下、壁もシーツも白い部屋の中で、真っ赤な命を散らしている。こういう時、眠っているみたいだと表現する人もいるが、本当に眠っているならば呼吸に合わせて体が動くものだ。微動だにせず白い顔で横たわる姿は、どちらかといえば蝋人形にでもなったかのようだ。つい先程まで動いていたのに、もう二度と動くことはないのだ。もう二度とあの笑顔を見ることはできないのだ。わたしは喉になにかが詰まったような息苦しさを覚えた。
 わたしがすぐにお医者様を呼ばなかったせいだ。そんな考えが頭の中に浮かんできて、その考えのあまりの恐ろしさにわたしの足はすくんだ。ギルバート様の命令を聞かずに、すぐにお医者様を呼んでいれば、もしかしたら助かったのではないだろうか。いや、どちらにしてももう長くないと言われていたのだ。本人が望んだ通りの最期を迎えることができたことを良しとするべきじゃないだろうか。だが、それはわたしが自分の過ちを認めたくなくてそう思っているだけではないのか。
 あれこれと考えてしまい動けずにいるうち、病室はまるでギルバート様の誕生日の時のように大賑わいになっていた。お医者様と看護師さんたち、彼らのお手伝いをするメイドの先輩がたが代わる代わる部屋を出入りしている。わたしはまだ衝撃から立ち直れないまま、部屋の隅に追いやられて床に座り込んでいた。今のわたしは何の役にも立てないだろうし、むしろここにいては邪魔になるだけだろう。だが、立ち上がって部屋を出ていくだけの気力も湧いてこないのだ。
 そんなわたしに声をかけてくれたのは、スピーカーから響くアンドロイドの機械音声だった。
『大丈夫ですか』
 あの告白は夢だったのかと思うほど、感情のこもらない無機質な声でそう問いかけられる。ギルバート様の血でところどころ汚れたアンがわたしを見下ろしていた。大丈夫なわけないじゃない、と答えそうになり、アンドロイドを相手にむきになっている自分の滑稽さを思い浮かべて口をつぐむ。心のないアンドロイドに感情を訴えたところで意味はない。本当に心がないのであれば。
「あなた、本当は、心があるのね」
 呻くように漏らした自分の声が驚くほど低い。わたしは今ひどい顔をしているのだろう。対してアンの方は憎くなるほど無表情だ。
 現代に残るアンドロイドは既に心を失った存在だ。人間の脳を使って作られた人工知能は人間と同じ、いやそれ以上の思考能力を有するが、心を失い感情を失った後はただの高性能なロボットと成り果てる。何か話しかけられれば適切な答えを導き出し返答することができるし、手を差し出されたら握手する、というように適切な動作をとることもできる。だが心を失ったロボットは自分から行動することをしない。あらかじめ決められた条件に従って動くだけだ。
 本当に心がないのならば、本当にただのアンドロイドならば、あんな告白などできるはずがないのだ。
 わたしの目線が無意識に、もぎとられた左手の薬指のあったところへ向かう。アンは細いコードが飛び出した断面を右手の指でなぞりながら、わたしの半ば独り言のような問いかけに答えた。
『ギルバート様がそれを望まれたので』


 ギルバート様の葬儀が執り行われたのは二日後のことだった。
 市民からも慕われていた市長の一人息子が若くして病死した、ということで、盛大に行われた葬儀には多くの人々が参列した。ご家族やご親戚の方々、お仕えする使用人たちはもちろん、生前に直接会ったことがないような市民までもが葬儀に訪れ涙した。
 大勢の人に手向けられた花で大きな祭壇が作られ、花の中に埋もれるように棺が安置された。押し寄せた参列者たちによく見えるように、まだ元気だった頃に撮られた遺影が大きく貼り出されていた。わたしは先輩方と一緒に葬儀の準備や参列者の応対で忙しく動き回っていたが、おかげで遺影だけは祭壇から離れていてもよく見えた。
 そこに貼り出された、温もりの感じられない作り笑顔を見た時、わたしはわたしの恋が終わったことを知った。




Fin.


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