事件ファイル#01 幸運なる左遷 --5



「今朝の爆弾の件なんだけどね」
 ワナン大尉はそう切り出すと、まだ残っていたコーヒーカップの中身を一気に飲み干した。
「スコット君、第十一隊が現場検証に来ていたのには気付いていたかな」
「え。いえ、知りませんでした」
 本当に、全く気付いていなかったらしい。いつの間に、などと一人ごちペンをくるくると手で弄ぶ中尉を、俺は呆れ半分に見やった。
「現場検証と言っても、簡単に聞き取りがあっただけだがね。あの様子では、本気で犯人を捜しあてる気はないのだろう」
 数時間前に訪れた兵士たちの動きを思い返し、大尉の言葉に頷いた。彼らの質問は、大尉に対しても俺に対しても、非常に簡素でかつ形式的なものだった。いかに中尉が手元の仕事に集中していたとはいえ、現場にいて爆発に巻き込まれた当事者たる中尉には、声をかけようともしなかったのだ。
「使用された爆弾は、小型の地雷か何かを改造したもののようだ。簡単な起爆装置がついていたものと考えられる。箱のふたを開けると爆発する、至ってオーソドックスな仕掛けだね。もっとも、爆発の衝撃で散り散りに吹っ飛んでしまったため、あくまで推測にすぎない。使用されていた材料のうち特定できたものについては特に変わったものも見当たらず、入手しやすい材料ばかりが使われている。そういうわけだから、爆弾から犯人を特定するというのは至難の業だ」
「兵士さんたち、よくそんなこと話してくれましたね」
「いや、話してもらったわけではないんだよ」
 大尉が中尉の問いかけに対して悪戯っぽく笑う。中尉からどういうことですかというように目線を向けられて、俺は首を横に振った。現場検証のときには車椅子を押していたので、俺は大尉と一緒に話を聞いたはずだが、そんな話題が出た覚えはない。
 大尉はすぐに種明かしをしてくれた。
「ほら、私は車椅子だから、皆を下から見上げることになるだろう。今朝の状況を聞かれているときに、兵士が持っていた小冊子の前のページが透けて見えてね。そこに書いてあったんだ」
「なるほど」
「それと、これは直接教えてもらったことだけど、爆弾がここ宛ての荷物に紛れたのは、荷物が本営に入った後のことだそうだよ。本営の受付を通過したときには爆弾入りの箱はなかったそうだ」
「つまり、犯人は内部の人間か、もしくは外部の人間が本営の中にまで潜りこんで仕掛けてきたということですか」
 中尉は肩をすくめ、うんざりした様子でため息をついた。
「犯人の狙いは何なんでしょう」
「さあね。目立ちたがり屋のパフォーマンスならばもう少し派手にやるだろうし、かといって恨みを持った者による犯行というほど陰湿でもないし。特にメッセージ性も感じられない。やり方も杜撰だ。爆弾の仕掛けも簡素なものだし、執務室宛ての荷物に紛れ込ませただけ。特定の人を狙った犯行というわけではないのだろうね。そうなると、まず考え付くのは単なる愉快犯だが……引っ掻き回して困らせてやろう、なんてそれだけの理由でここまでするだろうか」
「……うーん」
 二人とも難しい顔をして考え込んでしまう。一方で俺は、また漏れそうになった欠伸を必死に噛み殺していた。しっかりしろ、緊張感を持て、と自分に言い聞かせる。犯人はどこの誰なのか判明していない。なおかつ内部犯の可能性が大いにあるのだ。今こうしている間にも目の前にいる上官たちを害そうと仕掛けてくるかもしれない。この二人はびっくりするほど頭がいいし、事務官としては優秀なのだろうが、暴力の前では無力だ。彼らを守るのは護衛である俺の任務だ。
「ラテスさんはどう思いますか」
「へっ」
 突然水を向けられ、俺は間抜けな声を上げた。どう思うかと聞かれても、この人たちに分からないことが俺に分かるわけないだろう。俺は眉根を寄せて当たり障りのない答えを返そうとして、ふと思い出した。
「そういえば、少し気になることがあったんでした」
「気になること?」
「中尉のところに各班の兵士が書類の受け取りに来ていたときなんですが。少し挙動が怪しいというか……なんだか、やけにじろじろと中尉を見ている奴が一人いました」
 報告書を受け取りに来た兵士は皆、大尉や中尉から指摘された不備の内容を書き留めるのに集中していたのに、件の兵士だけはちらちらと目線を上げて中尉の方を盗み見ていたのだ。その視線が不穏なものをはらんでいるように見えたのは俺の主観かもしれないが。
「別に、じろじろ見られるのはいつものことですよ?」
 首を傾げた中尉にあっさりとそう言われてしまい、俺は言葉に詰まった。他ならぬ自分自身が、今朝がた彼に対して不躾な視線を送ってしまったことを思い出して頬が紅潮するのを感じる。事務官と一般の兵士とでは昇格のルールが違うのかもしれないが、それを差し引いても一般的に軍隊において彼の年齢は官職に対して若すぎる。彼の言うとおり、「じろじろ見られるのはいつものこと」なのだろう。俺は恥ずかしいような悔しいような、なんとも言えない気持ちになって黙り込んだ。
 俺の思考を見透かしたのか、ワナン大尉が助け舟を出してくれた。
「ラテス君はそれが仕事なんだから、気にしすぎるくらいでちょうどいい。だが、今日のは私も少し気になったよ。スコット君は全く心当たりがないんだね?」
「はい、怪しい人がいた覚えはないです。そんなに挙動不審だったんですか」
「第六隊の、経費の報告書を持って行った兵士です」
「名前は確か、ビリー・ニコルズ。……経理係ではなかったような気がするね」
「お知り合いでしたか」
「いや」
 簡潔に否定をして、大尉は机の上の書類の中から第六隊の名簿を引っ張り出した。ぱらぱらとページをめくる彼の手元をなんとなしに見つめていると、いつの間にか席から立ち上がっていた中尉が隣にやってきた。
「ネルソンさんはですね、第三師団の兵士ほぼ全員の顔と名前を覚えていますよ」
「全員、ですか」
「はい、全員です」
 ふふ、と誇らしげに笑う中尉を見返し、俺はまさかと思いながらもう一度繰り返した。
「全員って、第三師団は全部で1万人以上いるはずですけど、それを全部覚えているってことですか」
「いや、さすがにそれは無理だよ」
 大尉が首を横に振る。
「1万人の顔を見分けられたら人間業じゃない。覚えているとしても名前ぐらいだね。それも宙で言えるわけじゃない。あまり大袈裟に言わないでおくれ、スコット君」
「えーっ、でも、今だって、顔を見ただけで名前が分かったじゃないですか」
 中尉の抗議に対し、大尉は黙って苦笑するだけでそれ以上異論を唱えることはなかった。おそらく、中尉の言ったことは少し大袈裟かもしれないが、ほとんど事実なのだろう。
「ほら、それよりも見つけたよ」
 大尉は名簿をめくる手を止め、俺と中尉の方へ冊子を押しやる。冊子を受け取った俺の手元を中尉が覗き込んできた。
 ビリー・ニコルズ。第三師団第六隊第四小隊所属。出身地の欄には北部の小さな町の名があり、家族の欄は空欄になっている。独身で年齢は32歳。魔力の有無、魔術の使用可否を記入する欄にはそれぞれくっきりと×マークが書き込まれていた。これといって特徴も見当たらない、どこにでもいる普通の一般兵士だ。
「ラテス君は六隊からここへ移ってきたんだったね。彼と面識は?」
 大尉に質問され、改めて記憶を探ってみるが、やはり心当たりはない。それに俺の以前の所属は第七小隊だったので、普段から顔を合わせるような相手ではないだろう。もし心当たりがあったとしても、この情報量の少なさでは本当にその人物かどうか照合することもできないのではないだろうか。
「いえ、知らない人です。顔も名前も覚えがありません」
「ふむ、そうか」
「事務官はどの隊でも本隊所属になっているはずです。小隊所属ということは、やっぱり経理係ではないですね。本当の経理係の人になにか用事でもあって、代わりに来たということでしょうか?」
「提出期限の間近になってようやく提出してきたのだから、本物の経理係も少なくとも夕方頃までは本営にいたはずだよ。報告書の訂正のため作業が必要になるのは毎年のことだ。経理係としてもこれから訂正作業をするなら、どこがどう間違っているのかは直接聞きたいと思うのではないかな。普段事務に携わりそうもない一般兵卒を代役として立てるのは考えにくい」
「では、何か目的があって、経理係になりすましてこの執務室へ来た、とか」
「経理係と共謀しているという可能性もあるね。ではスコット君、その目的とは?」
 教え子に問いかける教師のように大尉が質問すると、中尉は眉根を寄せて考え込む。
「そうですね……例えば、今朝の爆弾騒ぎを聞きつけて、現場の様子を見に来たかったとか。単なる野次馬根性かもしれませんし、ずばり爆弾犯その人なのかもしれません。犯人だとしたら、自分の仕掛けた爆弾がどれだけの被害を出したのか確認したいと思うのではないでしょうか」
「なるほど。その論理でいくと、ニコルズの標的はスコット君ということになるね」
「えっ」
 思わず声を上げてしまい、俺は慌てて口をつぐんだ。中尉はうろたえることもなく、そうですね、と頷いている。
「僕を狙っていたのであれば、当然僕の様子を観察するでしょうから、そこをラテスさんに見咎められたと考えられます。ですが、多分それはないでしょう。ネルソンさんも先程おっしゃってましたが、僕個人を狙った犯行だとすればやり方が杜撰すぎます。もっと別の目的だと思うんですけど……」
 考えながら話しているのか、中尉の言葉は語尾に近付くにつれ小さくなっていった。眉間にしわを寄せあらぬ一点を見つめながら黙り込んだ中尉を、大尉がにこにこと眺めている。しばらくの沈黙のあと、中尉ははっと思いついたように顔を上げた。
「なにか思いついたかな」
「あ、いえ、まだ分からないんですけど。もしかして、僕を気にしていたんじゃなくて、経理の報告の方を気にしていたんじゃないかなって、思ったんです」
「ほう、なるほどね」
 中尉はくるりと自分の机を振り返り、数字がびっしりと書き込まれたメモ用紙を手に取る。
「第六隊の経理報告の不備は、全て経費関係ですね。食費も人事費用も武装費も、費用のうち割合が大きいものはほとんどどこか計算が違っています。前季末の在庫に今季変動した分を増減すると、今季分の在庫と合わないんですよ。雑多な経費支払に紛れたりして、数字が合わないのはよくあることですから、特に気にしてはいなかったのですが」
 メモ用紙を繰りながら、中尉はそこで一旦言葉を切った。
「たとえば、備品を勝手に流用していることを隠すため、嘘の報告書を作っている可能性だってあるわけです。もし、ニコルズさんが横領に関わっていたとすると、報告書の改竄に僕が気付いているのか、また横領に感づいているのか、確認したいはずです」
「爆弾を仕掛けてまで隠したいような大掛かりな横領ということかい」
「可能性はあります。全体的に見て六隊は武装費の割合が妙に高い。特に気になるのが、小型地雷の使用量です。それほど大量に消費するようなものではないと思うのですが、今季だけやたらと使用量が多い」
「なるほどね。地雷ならそれなりの値段で取引されるだろう。それこそ今回の爆弾のように、悪用されると被害が大きいものだ。見過ごすわけにはいかないな」
「はい。それに、本当に地雷を持ち出しているとすると、ニコルズさん一人の犯行ではありません。必ず共犯者がいます」
「どうして分かるんだい」
 首を傾げて見せる大尉に、中尉は第六隊の名簿を指し示した。
「地雷など厳重な管理が必要なものについては、剣や槍などの普通の武器庫とは違う場所で保管しています。出入り口には常時二人以上の見張りが立っていて、立ち入りには許可証が必要です。誰でも簡単に入れる場所ではありません。この名簿を見る限り、ニコルズさんは許可証を与えられてはいません。つまり、許可証を持つ兵士が仲間にいるはずです」
「許可証か」
 大尉が呟くようにそう繰り返し、手元に積み上げていた冊子の山の中から数冊を抜き取る。更にその中から一冊を手に取りぱらぱらとページを繰っていく。中にはずらりと人名が書き連ねられていた。
「許可証を発行している者のリストだよ。リストに載っている者のうち、六隊所属で今季殉職した者はいないから、前季とメンバーは変わっていないはずだ。……ただ、そうだな、スコット君の仮説を踏まえて考えると、少し気になることがある」
「気になること、ですか」
「人事関係の報告書も同じような不備があってね。こちらもよくある不備で、殉職者のリストと隊員名簿の人数が合わない。数字上は問題ないのだが、隊員名簿に同一人物が二度登場しているんだ。つまり殉職者のリストと隊員名簿のどちらかから漏れてしまっている者が一人いる。こちらも、故意に操作しようと思えばできないわけではない。隊員が殉職した場合、同じ隊の者が死亡の届を出すことになっているだろう。届を出すことになった兵士がそれを握りつぶしてしまえば、事務官にはその兵士が殉職したかどうかは分からない」
「……そうやって殉職の事実を故意に握りつぶされた兵士が、許可証を持っていたとしたら……書類上は生きていることになっているから、許可証も回収されず、兵士の手元にあることになりますね」
「そうなるね。あくまで推測だけども」
 大尉はそう言って冊子をぱたん、と閉じ、少し疲れた顔で深くため息をついた。
「念のため、調べさせようか。後で十一隊の隊長にでも話を通しておくよ」



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