事件ファイル#01 幸運なる左遷 --4



 イザーク軍第三師団が統括する北地域は、中心都市「フロスト」をぐるりと取り囲むように、十の地域に分かれている。第三師団の十二小隊のうち、第一隊から第十隊がそれぞれの地域の警備・消防機能を受け持ち、平時の市民の安全を守っている。北支部本部、本営がある北の中心都市フロストだけは例外で、第十一隊が警備、第十二隊が消防を担当している。
 執務室を訪れたのはその第十一隊の兵士たち三人だった。入口の兵士に案内されて執務室に踏み入れた兵士たちは、積み上がった報告書の山に少しばかり驚いたようだが、すぐに顔を引き締めてワナン大尉の前で敬礼する。
「お仕事中失礼致します。先程の爆発騒ぎの件で調査に参りました」
「ご苦労様。爆弾の送り主は判明しましたか」
「いえ、まだそこまでは。爆弾の入っていた箱には、差出人の名前などは書かれておりませんでした」
「なるほど。そうなると、本営の受付を出てからこの執務室に届けられるまでの間に紛れ込ませたと考えるのが妥当かな。差出人不明の荷物は受付の段階で開封確認をすることになっているからね」
「はい。既に受付の兵士に話を聞き、本日の郵便物に差出人不明のものはなかったとの記録を確認しています。犯人を絞り込むためにも、爆発が起きた時の詳しい状況をお伺いしたいのですが」
「はいはい」
 俺はワナン大尉の車椅子を押して部屋の中央へ移動する。
「普段、郵便物が届いたときはこちら側のローテーブルの上に積み上げている。以前にも、呪いがかけられた厄介な荷物が届いたことがあったのでね、どんなに量が少なく小さな荷物でも一旦こちらへ置いて、危険がないか確認してから開封するように徹底している。今日はかなり量が多かったから、確認も少し時間がかかっていたようだが、魔術による罠はなかったはずだよ」
「はい、使用された爆弾は魔術を使用する種類のものではないだろうと聞いています。中身はほぼ爆散してしまっているので、推測にはなりますが」
 兵士は大尉に答えながら、手にした小冊子にさらさらと何かを書きつけていく。大尉はその手元を横目で見上げながらふうん、と頷いた。
「それで、爆発が起きたとき、皆さんはそれぞれどこにおられましたか」
「クリス少佐は郵便物の山の前に立って罠がないかどうか確認をしていた。カーライン中尉とルイン君の二人はちょうどこの辺り、部屋の真ん中で立ち話をしていたね。私はあちらの自分の席で仕事をしていたよ」
「爆発の瞬間を見ましたか」
「見たのは見たけれどね。少佐が『伏せろ』と叫んだのが聞こえて顔を上げたら、目の前で突然爆発が起こって、煙だらけになってほとんど何も見えなかったね」
 あまり笑いごとではないのだが、大尉は軽く笑って肩をすくめて見せる。
「ルイン二等兵、お前はどうだ」
「あ、はい」
 兵士は俺に話を向けてきた。思わず姿勢を正しつつ、記憶をたどる。
「クリス少佐の声が聞こえるまでは、爆弾のあった方に背を向けていました。なので、見えたのはすごく眩しい光だけです。爆発するって分かった時にすぐに目を瞑ってしまいましたし。音と光が収まって、煙もちょっと収まったぐらいになって、この辺りにクリス少佐が倒れておられるのに気付きました。……俺に分かるのはこれぐらいです」
「なるほど」
 兵士はそれ以上質問することもなく、再び大尉に向き直った。
「ワナン大尉、無駄な質問かもしれませんが、犯人にお心当たりはありませんか」
「特に心当たりはないね。ありすぎて困ってもいるけど」
 大尉の答えは予想通りのものだったのだろう。兵士はメモも取らずに、ご協力ありがとうございましたと言い残し執務室を後にした。


 第十一隊の兵士が帰った後も、大尉と中尉の二人はひたすら報告書の添削を続けた。分厚い書類をめくり、文字を書きつけ、付箋を貼り、たまにやってくる各隊の事務官に不備事項を指摘する。それを延々と繰り返し、十二ある小隊の人事報告書と決算報告書が執務室から消え去った頃には、とっくに日は暮れ真夜中になっていた。
「あああぁ……終わったぁ」
 最後の十二隊の決算報告を持った兵士が出て行った途端、カーライン中尉は気の抜けた声をあげて机に突っ伏した。放り出された羽ペンが机の上から転がり出たのに気付き、床に落ちる直前で受け止める。
「スコット君、お疲れ様。今日はかなり手が早かったじゃないか」
 そう言って笑うワナン大尉の顔にも流石に疲労の色が見えていた。もっとも、彼の方は中尉よりも半刻ほど前に十二隊すべての人事報告の確認を終えており、また別の書類の確認に入っていたのだが。
「だって、さっさと終わらせないと、シェンドさんが包帯巻いたまま出勤してきそうじゃないですか」
「そうさせないための強制入院なんだけどね。確かにやりかねないね」
 中尉は突っ伏した体勢のまま目線だけを上げ、大尉との机の間に積まれた書類を見やる。その目はとろんと眠たそうだ。俺も眠い、と欠伸をこらえながら思う。忙しそうな二人には申し訳ないが、俺は正直な話、結構暇だったのだ。書類を仕分けるために頭を使ったのは最初だけで、後は人の出入りに気を配りながら書類をちょっと動かしただけだ。武器や兵糧に比べたら書類の束の重さは大したことはない。夜が更けるにつれて執務室を訪れる人も減り、俺はかなり手持無沙汰だった。
「そろそろ休憩しようか」
「……はあい」
 許可を得た、とばかりにカーライン中尉の頭が組んだ腕の中にぽすんと落ちる。三秒も経たないうちにすーすー、と寝息が聞こえてきた。相当疲れていたらしい。それにしても早すぎじゃないだろうか。
「ラテス君も疲れただろう」
「あ、いえ、俺は何も」
 大尉はふう、と大きくため息をついて車椅子の背もたれに体をうずめる。
「そうだ、頼みがあるんだよ」
 目を閉じたまま大尉が続けた言葉は、悪戯を思いついた子供のような声色だった。
「コーヒーを淹れてくれないかな」
 執務室の入口から見て左手、事務官の机よりもっと奥の壁には、ひっそりと小さな扉があった。寝ている中尉を起こさないよう静かに扉を開けて部屋の中へ入ると、そこはこじんまりとした給湯室だった。更に奥の方には、仮眠室なのだろうか、きちんと整頓されたベッドが二つほど置かれている。シーツには染み一つなく、毛布も綺麗に畳まれている。使われていないというわけではなく、人の手が行き届いているという印象だ。給湯室の方もそれは同じであり、食器も調理器具も綺麗に整列している。おかげで、台所に立ったことがほとんどない俺でも、必要な器具はすぐに揃えることができた。
 やり始めてから気が付いたのだが、俺、コーヒーを淹れるのは初めてだ。つるつるした手触りのコーヒーカップを落とさないよう注意しながら戸棚から出し、お湯を沸かし、コーヒー豆を挽き、いつかどこかの店で見たやり方を思い出しながら、それらしい器具を重ねてみる。恐る恐るお湯を注いでみれば、狭い給湯室に香ばしい香りがふわりと広がった。少しほっとしてため息をつく。
 お湯を注いでからどれくらい待つものなのだろうか。カップの上の器具を持ち上げてみると、下に落ちた液体はコーヒーらしい色に染まっていた。匂いもコーヒーそのものである。これで、いいのだろうか。しばし葛藤して、ピンクの花の模様がついたコーヒーカップと睨み合う。というか、どうしてこんな、やたらと可愛らしい模様なんだ。もう一人医療班所属の女の子がいるという話だから、十中八九その子の趣味なのだろうけれど。男所帯にこれはどうなんだ。
「何やってんだろう、俺は」
 考えるのを諦め、俺はソーサーとスプーンを引き出しから取り出した。男が初めて淹れたコーヒーがおいしいだろうとはとても思えないが、できないものは仕方がない。昨日までは剣を振り回しているだけでよかったこの手が、今日にはコーヒーを淹れることを要求されるとは夢にも思わなかったけれども。やれと言われるなら仕方がないのだ。医療班の女の子が来たら、やり方を教えてもらおう。だから今日は我慢してください。
「大尉、お待たせしました」
 給湯室の扉をできるだけ静かに開き、小声で呼びかける。相変わらず楽しそうな顔の大尉が振り向いた。
「ありがとう」
「その……すみません。俺、コーヒー淹れるの、初めてでして……」
「大丈夫だよ。そうだろうと思っていたから」
 大尉はコーヒーカップを受け取り口をつける。
「まずいね」
「すみません」
 身もふたもない感想だ。俺は怒られる覚悟で身を小さくする。
「ふふ、いいんだよ。深夜のコーヒーはまずい方が眠気覚ましになって助かる。いつもはもう一人の女の子に淹れてもらっているけれど、この時間はもっとまずいコーヒーを淹れてくれる」
「はあ」
 慰められているのか、本気なのか、よく分からなかった。俺は寝ているカーライン中尉の隣の机に彼の分のコーヒーを置く。
「君は本当によくやってくれているよ」
 まずいはずのコーヒーをゆっくり味わいながら、ワナン大尉は独り言のようにそう言った。
「コーヒーを淹れろ、って言われて、怒り出す人だっているからね」
「へえ、そんなことで怒ってたら、生きていくの大変そうですね」
 一般の兵卒の中にも、もちろんいろいろな人間がいる。俺のように今夜のパンにも困るような生活をしてきた貧乏人もいれば、裕福な商家に生まれた者もいる。下手にプライドばかり高いような人間だと、世の中のちょっとした理不尽にも目くじらを立てずにいられないのだろう。
「んー……」
 ふと、眠っていたカーライン中尉が身じろぎをした。突っ伏した体勢で顔をこするようにして、目をしょぼしょぼさせながら顔を上げる。俺が隣の机に置いたコーヒーカップに目を止めると、無言で手を伸ばした。だがあと少しのところで届かない。俺はこのまずいコーヒーを渡すべきか渡さないべきか悩んだが、届かないのに手を伸ばしたまま動かなくなった中尉の、無言の圧力というやつに負けた。
「あ、えっと……このコーヒーまずいんで、飲まない方が」
 カップを手渡す直前にそう言い訳してみるが、中尉は眠たそうな目でこちらを見ながら俺の言葉を完全に無視した。
 観念して手渡すと、中尉はのそりと上体を起こし、冷めかけていたコーヒーカップをぐいっとあおりまずいコーヒーを一気飲みした。
「えっ」
「はー、まずい。ごちそうさまです」
 かちゃん、と静かに音を立ててソーサーの上に戻ったカップは確かに空になっている。思わず中尉の顔を見ると、先程までの寝起きの様子はどこかへ消え去っていた。うーん、と声を出しながら一つ大きな伸びをした中尉は、すっきりした顔で書類を手に取った。どうやらまずいコーヒーは本当に眠気覚ましのためのものらしい。
「目が覚めました。続き、やりましょう」
 一分前とは別人のようにしゃっきりした中尉に向かって、大尉がゆっくりと首を横に振った。人差し指を口元で立てる。
「その前に、少しだけ話をしよう。今なら誰もいないからね」



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