事件ファイル#01 幸運なるレレゲーション --3



 日没が近付いてくると、執務室はにわかに慌ただしくなった。中尉の言っていた今季の報告書というやつだろうか、兵士たちが次々と書類提出のため執務室を訪れる。執務机の上に置いていくとすぐに場所がなくなりそうだったので、とりあえず資料を運んできた台車の中に入れていくことにしたのだが、その台車も日が落ちる頃にはいっぱいになってしまった。新しい台車を持ってくるべきかどうか悩んでいると、少し疲れた顔をした中尉が脇からひょこりと顔を出す。
「そろそろ始めましょうか」
「あ、はい。ええと、俺にもお手伝いできることはありますか」
「うーん」
 一応聞いてはみるものの、俺にまともに手伝いができるとは思っていない。だが中尉は真面目な顔で首をかしげ俺を見上げた。
「それじゃあ、ざっくりとで構いませんので、報告書を分野ごとに仕分けてください。僕は取り急ぎ経費関連のデータをまとめるところから始めるので、その関係の資料は僕の机に積んでいってくださいね」
 中尉はそう言いながら台車の上から二、三冊の小冊子を手に取り、さっさと自分の机へ戻っていく。席に着く直前、彼は振り返りまったく悪気のない様子でこう言い放った。
「ラテスさん、すみませんがしばらく話しかけないでくださいね。集中するので」
 経費関係ってどの資料のことだろう、なんて呑気に考えていた俺の手がぴたりと止まる。まさかの「質問は受け付けません」宣言だ。俺一人でこのよく分からない書類の山を適切に仕分けろというのか。そんなの無理に決まってる。
 すみません、分かりません。そう言おうとした俺はすんでのところで言葉を飲み込んだ。机に向かい先程手に取った冊子を広げた中尉は別人のように鋭い顔つきをしていたのだ。目線が紙面を上から下へと一定の速度でまっすぐに滑り、左手がページをめくるとまた一番上に戻る。羽ペンを持った右手はほとんど動かず、たまに手元の紙に何かを書きつけていた。好奇心に負けて忍び足で近付いてみると、中尉が書きつけているのはすべて数字であった。広げた資料にもずらずらと数字が連ねられている。
「ラテス君」
 小さく名前を呼ばれる。振り返ると大尉が口元に人差し指をあてて、もう片方の手で手招きをしていた。
「ちゃんと説明してあげるからこっちへおいで。スコット君の邪魔をしてはいけない」
「申し訳ありません」
 俺も小声で謝る。できるだけ中尉の気を引かないよう、彼の視界の外へそっと移動した。大尉に一つ一つ教えてもらいながら、書類の仕分けを始める。
「まずは、表紙に決算報告と入っている少し分厚い小冊子だね。それは全部スコット君の机に置いて。そう、それだ。未決済分は向かって右側に置くようにね。それから人事報告は私の机に」
「これでしょうか」
「それだよ。ありがとう」
 大尉が口にしたタイトルの書類は、台車の中の書類の中では一番分厚いのではないかと思うほど量の多いものだった。表紙には第三小隊人事報告と記入されている。大尉は俺からその分厚い書類を受け取ると、中尉と同じように中身をあらためながら片手でメモを取り始めた。彼もまた、恐ろしいほどのスピードで書類を繰っていく。それでいて表情は柔和なまま、のんびりと食後のコーヒーを楽しんでいるかのような穏やかな様子だ。俺は正反対な二人の様子を思わず見比べてしまった。大尉が顔を上げずに、しかし全部見ているみたいに口元だけで笑う。
「そんなに驚くようなことはしていないよ」
「い、いえ、とんでもない」
「自分にはできないと思っているから、凄いことのように思えるだけだ。そこの報告書だってね、私の指示がなくたって君なら仕分けられる。今も私が指定した書類をすぐに見つけただろう。つまりそれぐらいの文字なら問題なく読めるということだ」
「はあ……」
 つまり、人に頼らずに自分で考えてやれということだろうか。とにかく今判明したタイトルのものだけでも探し出してしまおうと、俺は報告書の山を崩し始めた。空いている執務机の書類を寄せてスペースを作り、似たような書名の書類は近くに置くようにして並べていく。
「この報告書はね、今季――この戦争の季節を我々第三師団がどのように活動したか、その記録なんだよ」
「はい」
 俺がまごつきながらも作業を始めたことに満足したのか、大尉の声が少し優しくなったような気がした。俺は見つけた人事報告書を大尉の机に積み上げながら彼の話に耳を傾ける。
「言ってみれば成績書のようなものだね。どれだけの数の敵を討ち取ったのか、捕虜にしたのか。逆に、どれだけの犠牲を出したのか。今回の戦争での結果をデータとしてまとめているわけだ。そして、成績書を作るのは戦績に限らない。私が今見ている人事報告は、兵士たちの成績書だね。誰がどのような勲功を上げたのか、誰がどれだけ昇級したのか、戦死者や行方不明になった者はどれだけいるのか。ラテス君、この第三師団には小隊はいくつあるかな?」
「十二です」
「その通り。その十二の小隊がそれぞれ戦績やら人事やらの成績書を提出してくるから、それを集計して第三師団全体の成績書として仕上げるのが私たちの仕事というわけだ。人事関係はほとんど私の管轄で、戦績関係は普段はシェンド君の管轄。さっきから集中しているスコット君は経理関係を担当している。あの子は計算が得意だからね。十桁ぐらいまでの数字なら算盤を使わなくても暗算できる」
「十桁?」
 俺は思わず声を上げてしまった。十桁の数字の計算なんて、俺は算盤を使ってもできない。というか、算盤の使い方をそもそも知らないけれども。
 できる限り自分の方からは声をかけないようにしよう、と俺は人知れず誓った。想像を超えるややこしい仕事をしているらしい上司たちの思考を中断する気にはとてもなれない。何より申し訳ない。
 結局、大尉には何度か指示を仰がなければならなかったが、俺はどうにか報告書の山を三つに仕分けることができた。全てを机の上に積み上げるわけにはいかず、中尉と大尉の机の横に台車を一つずつ寄せてそこにそれぞれの報告書を乗せている。戦闘の記録など、クリス少佐の担当だという書類についてはとりあえず空いている机の上に並べておいた。
 報告書の一つ一つはさして重たいものではないのだが、普段使わない頭を使ったせいか少し疲れた。俺が「終わりました」と報告すると、大尉は「はいはい」と頷いて次の指示を出してくれた。
「私たちの左側に積んでいる報告書はもう見終わった分だから、机の上から下ろしていって。赤い付箋紙がついているものは不備があるから別にしておくようにね。青い付箋紙は不備ではないから気にしないで、台車の中へでも戻しておいて。もちろん、未決済の分とは混ざらないように」
「はい」
 ぱっと見た感じでは中尉の机の方が報告書の量が多かったので、まずは彼の机の書類から動かすことにする。相変わらず集中し続けている彼の邪魔にならぬよう気を付けながら、報告書を下ろし付箋紙を確認する。紙の束の側面にびっしりと並ぶ付箋紙はほとんどが薄い赤色だった。ほぼ全ての隊の報告書に何かしらの不備があるらしい。
 そうこうしているうちに、各隊の経理担当の兵士がちらほらと書類の受け取りに訪れはじめた。
「失礼します。第四隊の経理の者です」
「失礼します。第九隊の人事報告書の受け取りに参りました」
「あ、はい。こちらでお願いします」
 俺は兵士たちと一緒に書類の山から該当する小隊の資料を探し出し、不備を指摘する赤い付箋紙を確認してからそれを手渡す。書類を受け取った兵士はペンを片手に、経理関係の書類の場合は中尉の机、人事関係の書類の場合は大尉の机の前に進み出て、書類の不備について説明を受ける。
「第四隊は……武器の購入明細の金額が何箇所か誤っています。ですので、合計の数値も変わってくるはずですから、そこを見直してください。あと、経費の中で食費の金額もおかしいです。人数も食料の内容も他の班と違いはないはずですが、四隊だけやたらと金額が大きい。計算が誤っていないか再度確認して、もし間違いがないのなら何故他の小隊より高額となっているのか補足説明を付けた上で再提出してください」
「九隊の人事だね。在籍兵士の名簿に、同一人物が二度登場しているから片方を消すこと。全体の人数は間違っていないから、戦死者か在籍者のどちらかに漏れがあるはずだね。戦死情報に間違いがないか再度確認しなさい。再提出」
 中尉も大尉も、手元の仕事を休めることなく兵士に不備の内容を指摘していく。大量の書類のどこがどう間違っていたのか全部覚えているらしい。本当にこの人たちの頭はどうなっているんだろう、と思いながら、俺はもう驚く気もなくしていた。書類を取りに来た兵士が見つけやすいように、見終わった書類を種類別かつ部隊別に並べていく。
「第六隊の経理ですね」
 ふと、中尉の声が耳に入り俺は振り返った。六隊は俺が昨日まで所属していた小隊だ。もしかしたら知り合いかもしれないと思ったのだが、中尉の前に立つ男の後ろ姿には見覚えがない。俺は中尉の机の確認済み書類を回収しようとそちらへ近付いて行った。
「経費それぞれの項目の明細の中身は問題ありませんが、明細の最後に書かれた合計額と、経費全体の合計額を出す式の金額が相違しています。正しい式を提出してください」
 俺は中尉の傍らで報告書の山に手を伸ばしながら、ちらりと六隊の男の顔を盗み見た。やはり見たことのない顔だ。報告書を作ったり経費を管理したりするのは事務職の人間だから、一兵卒の俺と接点がなくても当たり前なのだが、俺はなんとなく気になって、報告書を抱える手を少しだけ遅くして彼の挙動に気を張った。
「……かしこまりました」
 ペンを手にメモを取る男は、手元の報告書ではなく、中尉の方を見ていたのだ。その目はどうも不穏なものを漂わせているように思えたのだが、気にしすぎだろうか。俺よりも少し年上らしい男が、成人しているかどうかも怪しい少年に上から支持されるというのはプライドを刺激されるのかもしれない。
 中尉の指摘が終わると、兵士は礼をしてすたすたと執務室を後にした。俺は報告書を運びながらもう一度中尉に目をやったが、彼はずっと手元の資料の方ばかりを見ていて、兵士の視線にも俺の視線にも全く気が付いていないようだった。
 これぐらいの反応は、よくあることなのだろうか。それとも何かあると考えるべきか。迷いつつ大尉の反応を窺うと、まるでタイミングを計ったかのように彼も顔を上げ俺の方を見た。
「ワナン大尉」
 声をかけたのは俺ではない。執務室の出入り口に立っていた兵士だった。
「第十一隊の警備部隊が、今日の爆破物の件でお話を伺いたいと」
「入ってもらいなさい」
 簡潔に返事をして、大尉はまた作業に戻ってしまった。



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