05 おしゃべりな三月ウサギ --4



 最初のドアを開けると風が流れた。長い髪がふわりと舞い上がり、私は慌ててワンピースの裾を押さえる。窓が開いていたのだ。真っ白なカーテンがはためいている。ドアを閉めると風は静かになった。
(……まさか)
 ふと思い当たることがあり、私は窓のところから庭を見回す。ミティーちゃんのものらしい人影はなかったが、窓のすぐ下の花壇に足跡が残っていた。やっぱり開きっぱなしの扉を辿ってきたのは正解だったようだ。彼女はここから外に出たのだ。
 またホールの方に出て、玄関のくぐり戸から外に出る。門番さんがおや、という顔をして話しかけてきた。
「見つかりましたか?」
「窓からお庭に出ちゃったみたいなんです」
「なるほど! ミティー様らしい」
 門番さんが苦笑する。私は彼らに軽く会釈するとさっきの窓の開いた部屋の方へ向かった。庭にはバラの木が所狭しと植わっていて、歩ける場所は限られている。私はお屋敷の外壁を少し遠くに見ながら歩いていく。
 バラの庭の道はまるで迷路のように曲がりくねっていて、開いた窓は見えているのにどう行ったらその近くへ行けるのかわからない。よくできたものだ。しかしこんなにたくさんのバラがあって、それが迷路になっているのでは、世話をする庭師さんはさぞかし大変だろう。それとも庭師さんは自分の作った迷路だから迷うことはないのだろうか。ああ、でもよく考えれば、このバラの迷路に入ってから私は分かれ道らしいものを見ていない。ということはこの道は迷路ではなくて、ただぐねぐねと曲がりくねっただけの一本道なのだ。なんだ、それでは迷うわけはない。
 歩きながら開きっぱなしの窓の方を見やる。だいぶ通り越してしまっていた。果たしてこのバラ道はあの窓の近くへ通じているだろうか。ミティーちゃんの足跡を追おうと思っていたのだが。
 顔を上げて窓の方を見たまま角を曲がったとき、前方からすごい勢いで何かがぶつかってきた。
「きゃっ!」
「ひゃあ!」
 私は土の上に尻餅をつく。私って本当によく転ぶなあ、と情けない気持ちでぶつかった相手を見てみるとそれはやっぱりミティーちゃんだった。いったーい、と声を上げている彼女は私と目があった瞬間きっと表情を険しくしてすぐに立ち上がりまた逃げようとする。私も慌てて立ち上がり、スカートをはためかせて彼女を追った。ここで逃げられてはたまらない。
「待ってください! お願いします、お話しましょうよっ、私一人ですから! ……あ」
 走りながらミティーちゃんの小さな背に向けて叫ぶと、何フィートもいかないうちに突然彼女がばたりと倒れた。ちょうど彼女の足元で握りこぶし一つ分くらいの石が転がる。これにつまずいたのだろう。
「だっ大丈夫ですか!?」
「ううー……」
 ぐすっ、と鼻をすすりながらのろのろ体を起こす彼女に手を貸す。小さな声で礼を言った彼女はしかし私を意思の強い瞳でしっかりと睨みつけた。
「あたし、帰んないからね!」
「えっと……」
 さて、どう言って宥めるべきか。「ランさんは今外出中ですから、帰ってくるまでお屋敷の中で待ちましょう」「本当にランさんはここにはいませんよ、私は最近ここに住まわせてもらっているので分かります」いくつかの言い訳が頭の中に浮かんでは消えていく。だがどれもミティーちゃんが納得しそうな内容ではない。一体何と言えば彼女は納得するのだろう? いっそのこと本当のことを話してしまいたいけれどそれはまずいだろう。キャロルさんでさえランさんやルノさんの状況、彼らに今起こっていることをよく知らないんだから。そうだ、そもそもミティーちゃんはどこまで知っているのだろう。ランさんが家出して、このお屋敷に住んでいることは気付いている。じゃあその理由はどうだろう。弟を探していることは知っているのか、弟がマリオネットにされて誘拐されたかもしれないということは知っているのか。私は困って、何かを言い聞かせるのではなく、質問して彼女の考えを探ることにした。
「ミティーちゃんは、ランさんを探しに来たんですよね」
「そうよ! ある日突然出て行ったっきりちーっとも帰ってこないバカな兄を探してるの!」
「そんな、バカだなんて……」
「バカだもん、バカをバカって言って何が悪いのよっ」
 ミティーちゃんがむくれる。どんどん機嫌が悪くなっているような気がして私は内心で頭を抱えた。
「ランさんはどうして家出なんてしたんですか?」
「それは……」
 ミティーちゃんが言葉に詰まる。表情から怒りが消え、少しの怯えと不安が浮かんだ。聞かない方がよかっただろうか、と私が早くも後悔していると彼女は案外しっかりした声で答えてくれた。
「誘拐された、あたしたちの弟を探しに行くって言ってた」
「弟さんですか」
「うん。でもね、警察があんなに捜しても見つからなかったのに、お兄ちゃんなんかが見つけられるわけないと思うんだよね」
 彼女はやけに断定的な口調でそう言った。目線はわずかに下を向く。私がなんと言っていいか迷っていると彼女がまただんだんと口調を強めながら続ける。
「だってさ、あの子がいなくなってからもうずいぶんたつんだよ? 手がかりなんてほとんどないのに犯人を見つけられるわけないじゃない。もし見つけられたって、とっくにあの子はどこか遠い国に売られちゃってるか、それとも……とにかくもう無理だよ。見つけるのなんて。そんなのちょっと考えれば分かることじゃん。なのにお兄ちゃんはそれが分からなくてまだ諦めないの。だからバカだって言ってるんだよ」
 ふいに私の脳裏にある光景がよみがえった。あれは確か、マスターに撃たれそうになった私をかばってルノさんがマリオネットになったときのことだ。ルノさんを撃ってすぐに逃げていったマスターに向かって、ランさんは腹の底から叫んだ。膝をついて、泣いていた。そのときの小さく見えた背中を思い出した。
「そんなことを言ってはいけませんよ!」
 つい、私はこう言っていた。自分の口から漏れた言葉が思いのほか鋭かったことに自分で驚く。ミティーちゃんも目を丸くした。すぐに反抗してくるかと思いきや、彼女はふてくされたような表情でもごもごと分かってるよ、と答える。
 勢いをそがれた私が黙り込んで、二人の間に沈黙が流れた。




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