05 おしゃべりな三月ウサギ --3



「パパにばらしちゃうから」
 ミティーちゃんはキャロルさんをじっと見て、反応をうかがいながら同じ言葉を繰り返した。私からはキャロルさんの顔が見えないが、気付けば彼女から怒気がすっかり消えている。
「……ミティー」
「あたし、知ってるんだからね」
 二人は緊張していた。さっきの言い争いのようにお互いの激情をそのままぶつけ合うのではなく、もっと神経を使い探り合う、そんな張り詰めた空気が流れている。
「お兄ちゃんはここにいるんでしょ!?」
「いいえ」
「嘘つき。もう隠したって無駄だもん!」
「嘘ではありませんわ。わたしもしばらくランとは会っていませんもの」
「えっ、ミティーちゃんのお兄さんってランさんのことなんですか」
 つい口をはさんでしまう。振り向いたキャロルさんが責めるような目をしていたことで、私は自分の失言に気がついた。だが、時既に遅し。ミティーちゃんが甲高い声を張り上げてわめく。
「ほら、シェナちゃんが知ってるってことは、やっぱりここにいるんじゃん!」
「あ、いえ、私はあの、ここのお屋敷でお会いしたのではなくて……」
「じゃあどこで会ったの? いつ、どこで、どうして?」
 慌てて繕おうとしても、ミティーちゃんに質問で返されると答えることができない。私がランさんと初めて会ったのはこのお屋敷ではないから嘘をついているわけではないのだが、状況が特殊すぎて一口には説明できない。
「もーいいっ、二人に聞いてたって埒が明かないわ」
 私が頭をひねっていると、3秒もたたないうちにミティーちゃんが一方的に会話を断ち切った。彼女は挑発的に笑うと身を翻し、止めようとするキャロルさんの手を振り切って走り出す。
「ミティー!」
 キャロルさんが叫ぶと、ミティーちゃんは顔だけこちらに向けてにやにやと笑い手を振って見せた。曲がり角のところでちょうど横からきたメイドさんにぶつかりそうになり、慌ててよける。メイドさんは運んでいたバケツを手から離してしまい、ばしゃりと大きな水音がしてバケツの中の水が床へと派手にぶちまけられた。それに見向きもせず走っていくミティーちゃんの方を指して、呆然とするメイドさんにキャロルさんが鋭い一声を浴びせる。
「追いかけなさい!」
「は、はい」
 気弱そうな彼女は身をすくませて頷き、水に濡れた服でミティーちゃんの後に続いた。あまり走るのが速そうではない。多分追いつけないだろうな、と思っているとキャロルさんが大きくため息をついて床の上にへなへなとしゃがみこんでしまった。驚いて、私も床にしゃがんでみると彼女は少し疲労の見える顔でぼんやり空(くう)を見ている。
「大丈夫ですか。メイドさんたちを呼んできますか? その、ミティーちゃんのこととか、そこの水の後始末とかありますし。何なら手伝いますよ」
「まあ、そんなことなさらなくてよろしいですわ。でも、ミティーは早く落ち着かせなければ」
「ミティーちゃん、どこに行っちゃったんでしょう」
「おそらく屋敷中を走り回っていると思います。ランを見つけるまでは止まらないでしょうね、そういう子ですから」
 キャロルさんはまたため息をついた。彼女が一向に立ち上がる気配を見せないので、私は先に立ち上がり彼女に手を差し出す。だが彼女は上の空で、私の動作にも気がついていないのか全くの無反応で独り言のようにぼそぼそと話を始めた。
「あの子の名前がミティー・ヒューム、そしてランの名前はランドルフ・ヒュームです。あともう一人一番下に弟がいて、ランが一番上、ミティーが真ん中の三人きょうだいなのですわ。その一番下の弟が、おそらくあなたの『マスター』によってさらわれたのです。人間がマリオネットになるのだということは、彼らのご両親にいくら説明してもお分かりいただけなかったようですわ。ランはご両親と大喧嘩をして家を飛び出してきましたの。……考えてみるともうずいぶんと長い間お家の方に顔を見せていませんのね。ミティーが寂しがるのも当然ですわ」
 つまり、ランさんは家出してきたのだ。そしてミティーちゃんはその家出した兄を探しにきたのか。それであのようなすごい剣幕だったわけだ。
 今頃はこの広い屋敷の中を、兄を探して走り回っているのだろう。決して会えはしないのに。かわいそうだ。せめてもう少し早く来ていたら、ランさんはお屋敷にいたかもしれない。今はルノさんが元に戻るまで帰ってこないつもりなのだろう。それもいつになるのか分からないし。ルノさんといえば、ミティーちゃんはランさんの部屋に寝かせてある彼に気付くだろうか。本の山の向こうだから普通に部屋に入っただけでは目につくことはないだろうけど、ランさんが隠れているかもしれない、と考えて奥の方を覗き込んだりするかもしれない。もし何も知らずに持ち出してキャロルさんの目に触れたら大変なことだ。そうでなくとも、どこかにぶつけて壊れたり……ダメだ、想像するだけで気が遠くなる。そもそもランさんの部屋に入られたら、彼がここにいると確信してしまうではないか。
「あの、キャロルさん。私もミティーちゃんを探してきますよ。メイドさんたちにバケツの水を片付けてもらうようにお願いもしないといけませんし、あとランさんの部屋を見られたら、もう言い訳できないじゃないですか。だからそこを見られる前に、なんとか宥めて落ち着かせてみます」
「そう……ですわね。ごめんなさい、お願いしますわ。わたしではどうしても興奮させてしまいそうです」
 もう一度手を差し出すと、今度は気付いてくれた。握った手は少し冷えている。帰ってこないランさんとルノさんのことをずっと気にかけているから、疲れてしまったのだろう。
 ミティーちゃんを探して廊下を歩いていく。彼女の通ったルートは比較的分かりやすかった。廊下に並ぶドアがほとんど半開きになっているのだ。一つ一つの部屋をしらみつぶしに見て行ったのだろう。ぱっと部屋の中を見ただけではランさんが隠れていたとき見つけられないと思うのだが、この際そんなことは放っておこう。この分では彼女がルノさんを見つけることもなさそうだし、一安心だ。
 なんとなくドアをたどっていくと、そのうちに一階まで降りてきた。一階の玄関ホールに出て私は足を止める。ドアの並ぶ細い廊下はもう終わったのだ。さあ、ミティーちゃんは一体どこに行ったのだろうか。玄関の重たそうな豪華な扉はしっかり閉められているし、他に彼女が通ったとはっきり分かるような痕跡はない。私は玄関扉の近くに行き、そのすぐ隣の小さなくぐり戸をそっと開けて外に出る。扉の外側に立っていた二人の門番さんが私を見た。
「あの、すみません。ミティーちゃん……私より少し年下の女の子がここを通りませんでしたか? あ、女の子と言っても、ちょっと男の子みたいな恰好をしているんですけど」
 門番さんたちは顔を見合わせてお互いに首をかしげ、申し訳なさそうに答える。
「いいえ、見ていませんよ。誰も来ませんでしたし」
「そうですか、ありがとうございます」
 外ではないのか。私は門番さんたちにお礼を言って中に戻った。とりあえずこうなったら私も彼女がやったのと同じように、一つ一つの部屋をしらみつぶしに探してみよう。そう思ってホールの奥にある螺旋階段の方を向くと、ちょうどその上の廊下を右手と左手からメイドさんが一人ずつ小走りでやってきた。
「ミティー様は?」
「こっちにはいらっしゃらないわ」
「こっちもよ」
 どこに隠れてしまわれたんでしょう、と首をかしげている彼女らの会話を聞いて、私は階段を登るのをやめる。上の階はメイドさんたちが探しているみたいだし、私は下を探そう。ふと見ると螺旋階段の裏に細い通路があった。ドアは開いていないが、とにかく調べてみよう。




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