ドアを開けて部屋に入ってきたメイドさんは、綺麗に一礼してこう言った。
「お嬢様、お客様がいらっしゃっております」
「まあ、どちら様?」
あまりこのお屋敷を人が訪れることはない。しばらくここで暮らさせてもらっているが、出入りする人は使用人や商人ばかりで「お客様」と呼ばれるような人が来たことはなかった。キャロルさんもきょとんとしているし、急な来客なのだろう。珍しいことだ。
尋ねられたメイドさんは視線を泳がせて言いよどんだ。キャロルさんが首をかしげて無言で返答を待つ。少しの間沈黙が続き、メイドさんはぼそぼそと小さな声を出した。
「その、レヴァント様のご息女が」
「えっ?」
メイドさんの小声にかぶせてキャロルさんが大きな声を上げたので、私は驚いて彼女の方を見た。ぽかんと口を開けた彼女の表情に一拍置いて焦りが浮かぶ。
「ミティーが? ということは、レヴァント様も」
「いえ、それがお一人なのです。お供の方もいらっしゃいませんでした」
「一人? どうして?」
今度は目を丸くしてキャロルさんが問う。なんだかよく分からないが、思ってもない事態らしい。メイドさんは困ったような顔でまた口ごもった。キャロルさんは椅子から立ち上がり胸のところで両腕を組み黙って眉間にしわを寄せている。私は黙っていた方がいいんだろうな、と思い机の上の地図を見るともなしに眺めていた。
「……そう、とにかくレヴァント様はいらっしゃらないのですね。ミティーは今どこに?」
「応接室にお通ししました」
「わかりました、すぐに行きますわ」
メイドさんが失礼します、と言って頭を下げる。ドアが静かに閉められると、キャロルさんは私の方を向き申し訳なさそうな顔になった。
「ごめんなさい、少し待っていてくださる?」
「あ、はい、どうぞ。大丈夫です、待ってます」
思わず椅子の上でかしこまって軽くぺこりと頭を下げた。キャロルさんはもう一度ごめんなさいね、と言ってドアに向かう。その手がドアに触れるか触れないかのときに廊下から甲高い声が聞こえてきた。
「キャローーーっ!!」
間髪いれずにドアがすごい勢いでバタン、と開く。悲鳴を上げて一歩後ずさったキャロルさんに小さな影が飛びついた。勢いに押されてキャロルさんが体勢を崩し、体が後ろに傾く。私は反射的に立ち上がり手を伸ばし、よろめいた彼女の肩を支えた。
「久しぶり、遊びに来たよ!」
キャロルさんの腕の中でそうはしゃいだ声を上げたのは、大きな瞳をきらきら輝かせた子供だった。年は13歳ぐらいだろうか。焦げ茶色の短い髪には癖がはいっているのかあちこちがはねている。顔つきを見ると女の子だと思うのだが、男の子用のシャツの上に上着を羽織り、蝶ネクタイをしめている。それに半ズボンもはいている。
「あれ、お姉ちゃん誰? あたし会ったことないよね?」
「はい、はじめましてです」
「はじめまして! ミティー・ヒュームです。お姉ちゃんの名前は?」
「アリス……」
違う、アリスではない。
「あ、じゃなくて、シェナです」
私が慌てて訂正すると、ミティーちゃんは大きな瞳をぱちぱち瞬かせ声を上げて笑った。
「自分の名前でしょ、なんで間違えるの」
「あはは……」
事情を説明するわけにもいかないので、私は苦笑してごまかす。ふとキャロルさんの顔を見ると、彼女は何か言いたげにぱくぱくと口だけを動かしていた。それに気付いているのかいないのか、ミティーちゃんは構わずに喋り続ける。
「シェナちゃん何歳? あたしは14歳だよ。あ、ちなみにもちろん女の子だからね。今はこんな恰好してるけど。これは変装だから〜」
「16歳です……多分」
「16歳か、じゃああたしより2歳年上だ! でも多分って何よ、多分って」
「あはは」
「そのワンピースかわいいなあ。うーん、なんかどこかで見たことあるような気がするんだけど、もしかしてそれキャロの服?」
「そうです」
「やっぱり! そうだと思ったんだ〜」
「ミティー!」
キャロルさんが大きな声でミティーちゃんの話を遮った。その声には少し怒りが含まれているように感じられ私は黙って成り行きを見守ることにする。私からキャロルさんへと視線を移したミティーちゃんは彼女が言葉を続ける前にまた喋り出した。
「キャロ、ちょっと痩せたんじゃないの。ちゃんと食べてる?」
「お黙りなさい」
キャロルさんはミティーちゃんの両肩に手を置く。ミティーちゃんは口を尖らせて仕方無しに黙り込んだ。キャロルさんが深く深くため息をつく。
「言いたいことはたくさんありますけれど、まずその恰好は何ですの!」
「だから変装だってばー」
「まるで男の子じゃありませんか!」
「そりゃそうだよ、そう見えるように変装したんだから」
「どうして変装する必要があるのです? 髪まで切ってしまって!」
「それは……」
「あっ、まさかミティー、この髪は自分で切りましたのね!? 信じられませんわ!」
「ちょ、やめてよっ」
話しているうちにだんだん興奮してきたキャロルさんがミティーちゃんの髪を乱暴に掴む。ミティーちゃんは身を縮めて手をばたつかせキャロルの腕を振り払い、後ろに飛び退いて彼女を睨みつけた。
「あたしは家出してきたの!」
この一言で、少女を逃がすまいと手を伸ばしていたキャロルさんが一瞬怯み、すぐに言い返す。
「そんなこと許しません!」
「別にいいもん、キャロが許してくれなくたって!」
ミティーちゃんも吐き捨てるように叫び返すと、きびすを返して走り出そうとする。だがそれは予想済みだったらしくキャロルさんの手が彼女の腕をがしりと掴んで彼女を引き戻した。離してよ、と言って暴れる彼女の腕を捕まえたままキャロルさんが再びため息をつく。廊下で遠巻きにして様子を見ていた数人のメイドさんたちの方を見て、手伝いはいいから持ち場に戻りなさい、というように手をひらひら振って見せた。メイドさんたちは一斉に頭を下げて散っていく。
「ミティー、いい加減になさい」
「じゃあ離してよ!」
「離したら逃げるのでしょう?」
「当たり前じゃない、だってキャロ怒るもん」
「怒るに決まっていますわ! 家出だなんてとんでもありません、レヴァント様と奥方様が心配されます!」
「知らない! パパもママもあたしがいなくなったって心配なんかしないもん!」
ミティーちゃんがそう言った瞬間、真後ろにいた私にもキャロルさんが激昂したのが分かった。彼女からぶわりと発せられた目に見えそうなほどの怒気にミティーちゃんがしまった、という顔をする。キャロルさんの右手が振り上げられ、私は慌ててその手にしがみつき彼女を押さえようとした。
「お、落ち着いてください! ダメですよ!」
「離してください、シェナ」
先程までの早口にまくし立てるような口調とはがらりと変わって、キャロルさんの放つ言葉一つ一つに力がこもっている。据わった目がミティーちゃんをまっすぐに見つめており、懸命に彼女を止めようとしている私は文字通り眼中にないようだ。まるで別人だ。キャロルさんはどちらかと言えばおっとりしている方だと思っていたが、やっぱり女王様なのだ。たくさんの人が仕えていて、豪華なお城に住んでいて、そのお城には赤いバラが咲き誇っている。そして怒ると誰にも止めることはできず、気に入らない相手の首を刈るように命じる。
私の腕を振り払おうとするキャロルさんを必死に押さえていると、そのうちにキャロルさんは腕から力を抜いた。怒りが収まったのかと思い彼女の顔を見やるが、相変わらずその瞳には激しい感情が浮かんだままだ。彼女は静かな、しかし力のこもった声で死刑を宣告した。
「……レヴァント様に連絡して迎えに来ていただきますわ。よろしいですか、ミティー」
ミティーちゃんは何も答えず、ただ自分の腕を掴んでいたキャロルさんの左手を振り払う。そしてキャロルさんと目を合わせ、なぜかにやりと笑った。
「呼ぶなら呼んだら? その代わり、パパにばらしちゃうからね」
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