第八章:止められない世界



 シュウはベッドの中で目を覚ました。窓辺で小鳥がさえずり、朝の爽やかな風が吹き込んでくる。ザーラの町の自分の部屋だ。シュウはもう驚かなかった。これまでに見た五月九日の夢の内容を思い起こしながら、士官学校の制服に袖を通す。今回も恐らくザーラの兵器工場は爆発を起こすだろう。前回はその原因を突き止めようと工場に忍び込んではみたが、何もできずに死んでしまった。シュウは愛用の杖を握りしめ頭を抱える。
 今回はどう行動するべきなのだろうか。工場の爆発を止められるものなら止めたいが、シュウ一人でできることはたかが知れている。前回だって結局誰も助けられなかったのだ。町をまるごと救おうなんて、シュウの手には余ることなのではないだろうか。マーガレットはザーラの町が神の怒りに触れたのだと言っていた。神が裁きの雷を降らせたというなら、人間ごときがそれに抗うすべはないだろう。
「シュウ、そろそろ起きなさいよー」
「……はーい」
 階下から聞こえてきた母親の声に答える。シュウは暗い瞳で窓の外に目をやった。空はきれいに晴れている。今日これから惨事が起こるなんて誰も予想していないだろう。いつも通りの美しいザーラの町だ。
 シュウは階下へ下りダイニングへ向かう。テーブルには既に朝食が用意されていた。たっぷりジャムをのせたトーストをかじり、向かいに座った父親の顔を盗み見る。父親は仕事の手紙を広げて難しい顔をしていた。
 皆、死んでしまうのだ。そう思うと口の中のトーストの甘さが分からなくなった。爆発が起こる正午過ぎには家族は全員町の中にいるだろう。母親は家で家事をしていて、父親は市場で商人仲間と仕事の話でもしているだろうか。妹のアイシャとカナは学校だ。爆発には直接巻き込まれなくとも、その後に蔓延する毒霧からは逃れられないだろう。
 今すぐに逃げれば間に合うかもしれない。両親に訳を話して、学校に行った妹たちを連れ戻して、一家で馬車でも雇って他の町を目指すのだ。正午まではまだ時間がある。今ならまだ毒霧からも逃れられる可能性がある。だが、どう話せば、シュウの話を信じてくれるだろうか。
「今日は、お友達と一緒に行くんでしょう?」
「うん」
「なら、早く食べちゃいなさい。アイシャとカナはもう学校に行ったわよ。お兄ちゃんが緊張しすぎて失敗するんじゃないかって心配してたわ」
 母親の言葉はシュウの耳にほとんど届いていなかった。シュウはぼんやりとトーストをかじり考え込んでいく。
 どう説明したところで、誰も信じてはくれないだろう。この五月九日という日はシュウにとっては四回目だが、周りの人にとっては初めての日なのだ。この平和な町に住む人たちが一晩で全滅するなんて、にわかには信じがたい話だ。
 シュウはふとある事に気付いた。そう、ザーラの町は全滅したのだ。シュウはミサギ国で頭領から確かにその言葉を聞いた。シュウは一応現実だと思っているミサギ国での時間においては、五月九日は過去なのだ。過去は変えられない。ならば、シュウが今ここでもしザーラの工場の爆発を食い止めることができたら、現実の時間は一体どうなるのだろう。ザーラは滅ぼずに済むのだろうか。それともやはり夢は夢で、何事もなかったかのようにザーラが滅んだ後の時間が進むだけなのだろうか。
「ちょっとシュウ、聞いてるの?」
 母親に顔を覗き込まれ、シュウは我に返った。気付けば父親まで手紙を置いてシュウの方を見ている。シュウは誤魔化すようにトーストの残りを口に押し込んだ。
「ごめん、試験のこと考えて、ちょっとぼんやりしてた」
「もう、しっかりしなさいよ」
 シュウは曖昧に笑って、母親の小言を聞き流しながら玄関に向かう。これ以上両親の顔を見ているのは辛かった。
「がんばれよ」
「ありがとう、父さん。行ってきます」
 ダイニングから聞こえてきた父親の小さな声援にぎこちなく笑い返し、心配そうな母親の様子に気付かないふりをして、シュウは家を出た。
 うつむきながら歩き慣れた道を歩いていく。何度考えても、家族だけを先に逃がすことはできそうもなかった。万が一両親が信じてくれたとしても、既に学校にいる妹たちを連れ出すのは難しいだろう。教師に止められるだろうし、そこで事情を説明したって狂人扱いされるのが関の山だ。いや、よく考えれば本当のことを言う必要はないのだ。父親が事故に遭って危篤だということにすれば妹たちを連れ帰ることはできる。
 シュウは足を止めかけ、頭を振った。駄目だ。そもそも両親は信じてくれないだろう。試験前で緊張して変な夢を見たと思われるだけだ。それにシュウの家族は町の人たちを見捨てて自分たちだけが逃げることを良しとはしないだろう。やはり家族を救うには、爆発を止めて町ごと救うしかないのだ。
 シュウは大きく息を吐き、気持ちを切り替える。他にできることはないのだ。シュウには荷が重いことでも、とにかくやれるだけのことをやるしかない。シュウは改めてこれまでの三回の夢の内容を思い出した。爆発が起こるのは正午過ぎ。場所は工場の東側にある正門の近くだ。正確な場所は分からないし、何が爆発したのかも分からない。ただ、前回の夢で見た警備室はかなり被害が大きかったように見えた。もう少し早くあの警備室に近付くことができれば、何か分かるかもしれない。そう考え、シュウはまず市場へ向かうことにした。前回のように制服のまま忍び込んでは、誰かに見つかった時にすぐ部外者だとばれてしまう。警備員の制服は簡単には手に入りそうにないので、白衣で研究員になりすますことにした。
 市場で白衣を手に入れるのは思ったより大変だった。白衣は一般の人にとって日常的に使うものではなく、まず扱っている店を探すところから始めなければならなかったのだ。シュウはあちこち走り回り、最終的に、学校の近くにあった学術用品を主に取り扱っている店でようやく白衣を手にすることができた。
 シュウは急いで、ディックに教えてもらった抜け道へ向かった。制服の上着を脱いで代わりに白衣を着込み、制服は木の陰に隠しておく。杖は白衣の下で背中にくくりつけておいた。ちょっと無理やりだが、遠目なら誤魔化せるだろう。幸い人通りは少なく、すぐに工場内へと侵入することができた。しかし、もうあまり時間がない。シュウは手近な倉庫の中に入ると、両手で抱えられる程度の大きさの適当な箱を拝借した。前回見かけた研究員らしき男たちが何か荷物を運んでいたのを思い出したのだ。何も持たずにうろついていると怪しまれるかもしれない。こうすれば少しでも仕事をしているように見えるだろう。
 そうしてシュウは何が入っているかもよく分からない箱を抱え、工場の東側を目指した。途中で何度か研究員や警備員を見かけたが、白衣のおかげか見咎められることはなかった。
 声をかけられたのは、前回連行された警備室のある建物が見えてきた頃だった。
「おい、お前どこへ行くんだ。研究棟はそっちじゃないだろ」
 シュウはぎくりと足を止める。振り向くと、向かいの建物の前に煙草をくわえた壮年の男が立っていた。彼も白衣を着ている。煙草を吸いに外へ出てきたのだろう。シュウは必死に頭を回転させた。
「すっ、すみません! まだ場所を覚えていなくて、その」
「なんだ、新人か」
 慌てるシュウの様子を都合よく解釈し、男は白髪の混じり始めた頭をぼりぼりと掻いた。
「どこに行きたいんだ?」
「えっと……今日の実験でこれを使うから、持って行くようにと言われたんですけど……」
「ああ、マスクね」
 男は勝手に一人で頷くと、煙草の火を靴底でもみ消してシュウに手招きをした。
「こっちだよ」


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