第六章:叫びは炎の中に --2
シュウは杖を取り上げられ、警備室らしき部屋へと連行された。運が良いのか悪いのか、その建物はシュウが目指していた東の正門のすぐ近くにあった。ということは、爆発の中心はこの辺りかもしれないのだ。シュウはそわそわと周囲を見回したが、どこにも爆発を引き起こすような物騒なものは見当たらなかった。
警備員たちはシュウを奥の小部屋へと引っ張っていった。そこはテーブルと二脚の椅子だけが置かれた殺風景な部屋で、上の方についた小さな窓にはなんと鉄格子が嵌っている。シュウはごくりと唾を飲み込んだ。
「座れ」
奥の方の椅子を指し示される。シュウは大人しく従った。テーブルを挟んで向かい側に、厳つい顔をした警備員が一人どっかりと腰掛ける。シュウの父親と同じくらいの年齢の男だ。他の警備員たちと着ている制服が少し違う。彼らの上司なのだろう。
「士官学校の生徒だな。名前は」
「シュウ=カトライゼです」
「何年だ」
「六年生です」
「十八歳か。それなら討伐隊の入隊試験を受ける年だろう。試験は今日じゃないのか」
「……そうです」
だんだんシュウの背に嫌な汗が滲んできた。自分のことながら怪しすぎる。
「試験にも行かず何をしていた」
シュウはうつむき、必死に言い訳を考えようとするが、頭が真っ白になって何も浮かんでこない。警備員の顔つきはどんどん険しくなっていく。
「聖女さまに会いに来たと言ったそうだな。会ってどうする?」
この問いにもシュウは答えられなかった。今の聖女はまだシュウのことを知らないのだ。実際、聖女に会えたとして、あなたはこれから誘拐されそうになるのだ、なんて話を信じてくれるだろうか。未来のことを知っているなんて眉唾な話を信じる人はいないだろう。それとも不思議な力を持つ聖女ならば信じてくれるだろうか。そう考えて、シュウは閃いた。そうだ、聖女ならば不思議な話にも縁があるのだ。シュウは上目遣いに警備員を見上げた。
「あの……今、何時でしょうか」
「質問に答えろ」
警備員はシュウの質問を無視した。爆発までのタイムリミットを知りたかったのだが、今は諦めるしかなさそうだ。シュウは周囲の反応を伺いながら簡潔に説明を始める。
「聖女さまが夢に出て来たんです」
「夢ぇ?」
警備員は露骨にうさんくさそうな表情を浮かべた。シュウは負けじと訴えを続ける。
「聖女さまは命を狙われている、助けてくれと仰いました。今日の十二時にそいつらが現れるのだそうです。だから僕は聖女さまを守るためにここに忍び込みました。教会ではなく工場の中に身を隠していると教えてくださったのも聖女さまです」
「その夢が本当だとして、どうして聖女さまがお前などに助けを求めるんだ」
「それは……分かりません」
痛いところを突かれた。シュウは急いで話題をすり替える。
「でも、聖女さまがこの工場にいるのは本当なんでしょう? だったら聖女さまのお告げは本当ですよ」
警備員は顔をしかめたが、シュウの言葉を否定はしなかった。反論を考えられるよりも先に畳み掛ける。
「もう一度聞きます、今は何時ですか。皆さんが警備の人なら、僕なんかに構っていないで聖女さまをお守りしてください。十二時に何者かが聖女さまを襲いに来るんですよ。聖女さまの身にもしものことがあったら、ザーラの町はどうなるんですか」
シュウは勢いよく身を乗り出しテーブルを叩いた。警備員はシュウを睨みつけて考え込んでいたが、ややあって部下を呼び二、三言耳打ちした。大きくため息をつき椅子から立ち上がる。
「念のため聖女さまの警備の人数を増やした。まさかとは思うがな」
シュウは安堵のため息をついた、ふりをした。これだけで聖女の誘拐を阻止できるかは分からないが、誘拐犯も少しは動きにくくなるだろう。あとは爆発の件だが、今の状況ではこれ以上できることが思いつかなかった。
「お前の言い分を信じたわけではないからな」
警備員たちは変わらずシュウを睨みつけている。シュウはもう一度ため息をついた。今度は諦めの感情を吐き出すため息だった。これから起こることを思えば、警備が仕事の彼らはシュウなどに構っているべきではない。だがそれをシュウの口からどう説明したところで、信じてもらえるわけがない。
きっと今回も爆発に巻き込まれて死ぬのだ。そう思うとシュウの体はひとりでに震えた。できることならあの地獄のような熱くて痛い思いはしたくなかった。あんなに苦しかったのに、どうしてのこのこと地獄の中心に乗り込んできてしまったのだろう。どうして起こったかも、事故なのか故意に起こされたのかも分からない爆発をたった一人で止められるわけがないのだ。
そんな風に後悔していたシュウにとって、突如鳴り響いた轟音は地獄の幕開けの合図だった。空が割れんばかりの音が轟き、建物の中にいるのに激しい熱を感じた。シュウは両手で頭を覆ってうずくまる。頭上から割れた窓ガラスが降り注ぎ、頭をかばった両腕を尖った破片が刺した。
「なんなんだ!」
「うわああ!」
悲鳴と怒号が飛び交う。小部屋のドアを開けた男が、勢いよく吹き込んだ炎に巻かれ、ぞっとするような声を上げて倒れた。ドアの向こうの警備室は半壊していた。壁は剥がれ、炎が上がり、警備員たちが何人も呻き声を上げて床に這いつくばっている。肌を焼くような熱気が伝わってきた。
警備員たちは目の前の惨状にしばし呆然としていたが、シュウと対峙していた男がいち早く我に返り、彼らを一喝した。
「何してる! 負傷者を運び出せ!」
「はい!」
部下たちに指示を出すと、彼は鬼のような形相でシュウを振り返る。シュウは思わず後ずさり、背中を壁にぶつけた。爆発の衝撃で亀裂が入った壁は恐ろしいほど熱くなっていて、その熱さに却ってシュウは冷静になった。
「お前、これも知っていたのか!?」
「そんな事を言っている場合じゃないでしょう!」
炎の勢いはどんどん強さを増している。室内にはどす黒い煙が吹き出し視界を奪いつつあった。シュウは男の横をすり抜け、警備室の床で呻いている男を助け起こす。男が両手で押さえる右足は痛々しいほどに焼けただれていた。これではまともに歩けないだろう。シュウは男の腕を肩に回し、彼を支えて出口を目指した。男が耳元でうわごとのように痛い、痛いと繰り返す。
「おい、こっちだ!」
煙が蔓延する室内では出口がどちらかもよく分からない。まして一度通っただけの建物の構造など覚えているわけもなく、シュウは先導する警備員の声を頼りに必死で進んだ。肩にかかる男の重みが少しずつ増していく。最初はどうにか自分の足で歩いていた男が、次第にぐったりと動かなくなっていく。シュウは泣きたくなりながら男の体を半ば引きずるようにして這っていった。
外の光が見えた時は助かったと思ったが、建物の中から脱出してもなお、そこは地獄だった。見覚えのある瓦礫の山にあちこちで火の手が上がる。息をするだけで肺が焼けそうな熱風が渦巻いている。血まみれの人、火傷を負った人が倒れている。瓦礫の下から手足だけが見えている人もいた。
止められなかった。真っ赤に染まった空を見上げシュウは唇を噛んだ。この炎はこれから夕方までかけてザーラの町を飲み込み焼き尽くすだろう。そして同時に、草木をも殺す毒の霧が人々の息の根を止めていくのだ。シュウは身震いした。
逃げようか。そんな言葉が浮かんだことにシュウは自分で驚いた。そうだ、逃げるのだ。何も起こっていない平和な時なら毒の霧なんて突拍子もない話は信じてもらえないだろうが、工場の大火災というこの惨事の前なら、家族もザーラにいては危険だと分かってくれるだろう。毒がいつ外に漏れ出すのか、どれくらいの速さで広がるのかは分からないが、少なくとも今はまだ普通に呼吸していられる。今からすぐに行動すれば間に合うかもしれない。
シュウは支えていた男を火から離れたところに寝かせ、走り出した。彼を見捨てていくのに罪悪感はある。だがこの状況では手当をしてやることもできない。ここに残ったところで共倒れになるだけだ。そう自分に言い聞かせ、シュウは逃げるように地面を蹴った。
「待て、どこへ行く!」
背後から誰かの咎める声が追いかけてくる。シュウは口の中でごめんなさいと呟いた。母親の、父親の、そして妹二人の顔が浮かぶ。できることならザーラの町をまるごと救いたかった。それができないのならせめて家族だけでも助けたい。
その時、背中に何かがぶつかったような衝撃があり、シュウは瓦礫の中に顔を突っ込むようにして倒れた。口の中に血の味が広がる。起き上がろうとしたが、なぜか体のバランスがうまくとれない。腕に力を入れてどうにか上体を起こすと、シュウの胸からは血にまみれた槍の穂先が生えていた。
えっ、と声が漏れそうになった。だが、口から出てきたのは大量の血だった。シュウは自分の血で溺れそうになり咳き込む。瓦礫の上に泡混じりの血がぼたぼたと落ちた。息ができない。苦しい。気付けば体はまた瓦礫の上に倒れ込んでいた。のたうち回りたいほどの苦しさだったが、背中に生えた槍が邪魔をしてそれもできない。
「お、お前が……お前の、せいなんだ……!」
意識を失う直前にそんな声が聞こえた気がした。逃げ出したシュウを責める警備員がそう言ったのか、シュウの罪悪感が作り出した幻聴か、彼にはもう分からなかった。
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