第六章:叫びは炎の中に



 チュンチュン、と聞き慣れた小鳥のさえずりが耳に飛び込んできて、シュウはぱちりと目を開けた。ゆっくりと体を起こし、ぐるりと周囲を見回す。ザーラの町のシュウの部屋だ。またここに戻ってきたのだ。夢か現実かはやっぱり分からないが、今回もまた五月九日なのだろう。シュウはベッドの中で腕を組み考え込んだ。眠る前に、またザーラの夢を見るかもしれないとは思っていたが、本当に見られるとは。こうなるとやはりこの夢には何か意味があるのだ。浅葱が言ったように、失った記憶を取り戻すために夢を見ているのかもしれないし、あるいはもっと違う意味があるのかもしれない。
 いずれにせよ、これはチャンスだと考えるべきだ。一回目と二回目の夢の内容はほとんど同じものだったが、それはシュウが途中まで同じ行動を取っていたからだ。この夢は、シュウの選択に従って展開を変える。それならば、シュウの行動によっては、五月九日に起きたことの真相に近づくことができるはずだ。
「よし」
 声に出して気合を入れ、シュウはベッドから飛び降りた。パジャマを脱ぎ捨てて士官学校の制服に着替えていると、階下から母親の呼ぶ声がした。
「シュウ、そろそろ起きなさいよー」
「はーい」
 忘れずに杖を握りしめ、シュウは足早に階段を駆け下りていく。階段の下には母親がいて、キッチンに戻ろうとこちらに背を向けたところだった。
「母さん、今日は五月九日だよね?」
 母親は呆れ顔で振り向いた。
「当たり前でしょう。寝ぼけてるの?」
「うん、まあ、ちょっと変な夢を見ちゃって」
「しっかりしなさいよ。今日は試験の日なんでしょう」
「大丈夫だよ」
 母親に続いてダイニングに向かうと、朝食が用意されたテーブルで父親が仕事の手紙を広げて難しい顔をしている。三度目の光景だ。シュウはたっぷりジャムをのせたトーストを急いでかじり、母親の小言が始まるよりも先に朝食を終わらせる。
「今日は、お友達と一緒に行くんでしょう?」
「そうだよ。ごちそうさま。行ってきます!」
 キッチンから顔を出した母親に空になった食器を押し付け、シュウは慌ただしく玄関に向かった。驚いた母親の声だけが追いかけてくる。
「ちょっとシュウ、あんたもう行くの?」
 シュウは答える間もなく玄関のドアから飛び出していった。
 これまでと同じような行動を繰り返せば、恐らく今回も昼頃に工場が爆発し、シュウは何らかの形でそれに巻き込まれるのだろう。それが事前に分かっているならば、爆発を止めることも可能なはずだ。便宜上夢と呼んでいるが、この異様にリアルな夢が本当に夢なのかは分からない。もしかしたら今までのことが全て夢で、今この瞬間こそ現実なのかもしれない。だが、夢だろうと現実だろうとするべきことは同じだ。工場の爆発を止める。そうすればザーラに蔓延した毒の霧も発生しないかもしれない。もしこれが現実ならそうすることでザーラを救うことができる。もし夢だったなら、本当の五月九日に何が起こったのか知る手がかりになる。
 ディックとの待ち合わせ場所である市場の方へは向かわなかった。彼には申し訳ないが、今は試験を受けに行っている場合ではない。生きていれば、ザーラを救うことができれば、試験はまた受けることができるだろう。
 シュウはディックに教えてもらった抜け道の方へ向かった。工場の外壁の脇に立つ大木だ。辺りには民家が立ち並び、前回までと時間が少し違うからか、そこそこ人通りがある。シュウは大木の陰に身を潜め、人がいなくなるタイミングを待った。こんなところで見咎められて足止めを食らうわけにはいかない。
 爆発を止めるとは言っても、まだ手がかりはほとんどない。聖女は工場の一角で起こったとしか言っていなかったし原因は知らないようだった。具体的にどの辺りで起こったのかも聞いていない。前回までの夢では、シュウが爆発に巻き込まれたのは工場の東の端にある正門の近くだった。轟音と閃光、そして爆風にまかれて爆発の中心は見ていない。だが近くの外壁がほとんど瓦礫と化していたことを思うと、爆発が起こったのは工場の東側の可能性が高いだろう。ディックと共に抜け道として敷地を突っ切ったのは西よりの方だったが、そちらには特に怪しいものは見当たらなかった。ひとまずシュウは東側の様子を探ることにした。
 人通りのないうちに木を登り、工場の敷地内に下りる。西側のこの辺りは資材の山や古い倉庫ばかりで人気がない。シュウは建物の影に隠れ人目を避けながら東側を目指した。
 古い倉庫の前を三棟ほど通り過ぎた時、曲がり角の向こうから話し声が聞こえてきた。
「おい、もうちょっと低く持ってくれよ。俺の方に重心が寄って重いだろ」
「お前が高く持ち過ぎなんだよ」
 シュウは忍び足になり、物陰にうずくまった。ややあって二人組の男たちが現れる。彼らは大きな箱を二人がかりで抱えて運んでいた。二人とも白衣を着ているが、その白衣は裾のほうが薄汚れて灰色っぽくなっていて、あまり清潔そうには言えない。男たちは倉庫の扉の前まで来ると、どっこいしょ、と声を揃えて地面に箱を下ろした。片方の男がポケットから鍵を取り出し扉の南京錠を外す。扉は重たそうにぎしぎしときしみながら開いた。
「毎日毎日、雑用ばっかりで嫌になるよ」
「贅沢言うなよな。モンスターの餌やり係よりはよっぽどマシだろう」
「確かに、あれは嫌だな。いつ自分が食われるか分からん」
 男たちは笑い合い、地面に置いた箱を再び持ち上げると、倉庫の中に入っていった。倉庫の扉は開いたままだ。正門の方へ行くにはその前を突っ切るのが早いのだが、さすがに見つかってしまうだろう。迂回しようと腰を浮かしかけたシュウの耳に、気になる言葉が飛び込んできた。
「今日の実験って、当然聖女さまも立ち会うよな」
「そりゃ、そうだろう」
 当たり前のように聖女さまという単語が男の口から出た。やはり彼女は本人が言っていた通りこの工場内にいるのだ。何者かに誘拐されそうになって逃げ回ったと言っていたが、そのことと工場の爆発とは関係があるのだろうか。
「例の兵器の開発はあまりうまくいってないらしいぞ。所長としては少しでも聖女さまからデータを取りたいだろうよ」
 倉庫の扉から出てきた男たちは、一人一つずつ両手で抱えられる大きさの箱を持っていた。扉に鍵をかけ、もと来た方へ歩いていく。シュウは彼らの後をつけていくことにした。男たちの向かう方向は北東の方角だったし、闇雲に歩き回るより何かを見つけられるだろう。
 だが、尾行はすぐに断念せざるを得なくなった。白衣の男たちは倉庫の間を抜け、大きな四角い建物の中へ入っていってしまったのだ。入り口には見張り番が立っていて入り込めそうにない。シュウは積み上げられた木材の影からしばらく様子を伺っていたが、男たちが出てくる気配はなかった。そこが何の建物であるのかも外からは分からない。建物の名前は特に書かれておらず、外見にも特徴がなかった。
 シュウは諦めて再び東の正門を目指したが、それも少しずつ難しくなってきた。人気がなく資材置き場のようになっていた西側と違って、東側にはあちこちに見張りが立っているのだ。白衣を着た研究員らしき人が通りがかることもあり、見つからずに進んでいくには相当の神経を使う。しかもシュウは士官学校の制服を着てきてしまったので、一目で部外者だと分かってしまう。どこかで白衣を調達できればある程度自由に動き回れるかもしれない。シュウは一か八か、適当な建物に忍び込んでみることにした。
 音を立てないように注意してドアを細く開ける。建物の中は薄暗く、廊下には乱雑に木箱が積まれていた。廊下の両側には交互にドアがあり、木箱はそれを避けるように積まれているので、とりあえず使われてはいるようだ。シュウは一つ目のドアに耳をくっつけて、中から物音がしないことを確かめてからドアを開けた。
 部屋の中も薄暗かったが、窓がある分廊下よりは明るい。ここは物置になっているのか、端の方にはテーブルと椅子がまとめて置かれていた。空いたスペースには何に使うのかよく分からない機械がごちゃごちゃと積まれている。近くにあった小振りな箱を適当に一つ開けてみたら、フラスコと試験管がぎっしりと詰まっていた。ここは実験に使うものを置いておく場所なのだろうか。それならば近くの部屋に白衣もあるかもしれない。
 隣の部屋も見てみようとドアに手を伸ばしたシュウは、ドアノブを握りそこねてバランスを崩した。転びそうになって踏み留まり、顔を上げるとそこには知らない男の人が立っていた。ドアを開けた男の人はシュウを見てぽかんと口を開けた。シュウも同じ顔で彼を見つめ返し、ざっと青ざめる。見つかってしまった。すぐに彼を突き飛ばし、入ってきたドアから外へと飛び出す。
「侵入者だ!」
 尻餅をついた男が背後で叫んだ。外へ出たシュウはそれ以上逃げることもできず立ちすくむ。男には連れがいたのだ。シュウは数人の研究員たちの前に飛び出してしまった。
「こら、どこから入ったんだ!」
「す、すみません!」
 研究員に凄まれ、シュウは両手を挙げる。あっという間に囲まれてしまった。研究員の一人が警備員を呼びに行ったのが見え、シュウは歯噛みする。このままではつまみ出されてしまうだろう。もう爆発まであまり時間がない。再度忍び込んだところで間に合わないだろう。いや、そもそも士官学校に連絡されて、叱られているうちに時間が来てしまうだろうか。
「おい、お前」
 研究員のうち、最も年上と思われる男が前に出てきた。
「ここで何をしていた」
 シュウは返答に窮した。まさか本当のことを言うわけにもいかない。代わりの理由も何も考えていなかった。建物の中まで入り込んでしまっているため、士官学校へ行くため近道をしようとしたというのは言い訳にならない。
「言えないようなことか?」
「あ、あの」
 研究員の顔つきが険しくなる。シュウはあわあわと首を振った。
「ぼ、僕、聖女さまを探しているんです」
「何だって?」
「どうしても聖女さまに伝えないといけないことがあって、それで、聖女さまを探していました」
 咄嗟に思いついたその言い訳が間違っていたことにシュウはすぐ気付いた。研究員たちの顔色が変わったのだ。わなわなと震えだした先頭の男がシュウを指さした。
「どうして、お前は、聖女がここにいると知っている……!?」
 シュウは頭を抱えたくなった。普通の人は聖女さまが教会にいるものと思っているのだ。彼女がこの工場内にいると知っているのは関係者だけだろう。そして士官学校の制服を着たシュウは明らかに関係者ではない。
「捕まえろ!」
 かけ声と共に研究員たちが飛びかかってくる。シュウは大した抵抗もできずに地面に押し倒されてしまった。


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