第五章:祈りは風の中に



「あああああっ!!」
 悲鳴を上げながら、シュウはがばりと身を起こした。心臓がばくばくと激しく揺れている。シュウは肩で息をしながら周囲を見回した。――ミサギ国の浅葱の家だ。シュウは畳の上に敷かれた柔らかい布団の中で横になっていたようだ。服も、士官学校の制服からミサギ国の着物に着替えている。
「大丈夫か、シュウくん」
 襖が開き、浅葱が心配そうに顔を出した。悲鳴が聞こえたのだろう。
 浅葱に水を一杯もらい、落ち着いたシュウは深くため息をつき頭を抱えた。
「また……五月九日のザーラだったんだ」
「同じ夢を見たんか」
 ゆめ、と力ない声でシュウは繰り返す。やはり夢なのだ。どれほど現実感のある夢だとしても、あれは夢なのだ。夢でなければ、なぜ同じ日が二度も繰り返されたのか説明がつかない。周囲の人々の言動も、試験の内容も一回目と同じだった。まるで時が巻き戻ったかのように。
「同じだったよ。でも、僕は死ななかった……」
 周囲の人々は一回目と同じだったが、シュウは違う行動をとった。そしてその結果、シュウは死ななかったが、目の前であの白い服の少女が命を落とした。それはあまりにも衝撃的な光景だったが、それはあれが夢であるという何よりの証拠だった。なぜならば五月九日を過ぎた今、件の少女はまだ生きているからだ。瓦礫に押し潰されるような大怪我だってしていなかった。
 シュウは浅葱を相手に、ぽつりぽつりと夢の内容を話した。二回の夢の中で何が起こり、自分がどんなことを考えどう行動したのか、それらを思いつくままに話していく。浅葱が途中で口を挟まずに、黙って耳を傾けてくれたのがありがたかった。
 一通り話し終えると浅葱がもう一杯水を持ってきてくれて、それを飲み干してやっと人心地がついた。
「兵器工場が爆発した、ねえ……」
 浅葱は真面目な顔で腕を組んで考え込んでいる。シュウはなんとなく不安になって、浅葱に待ったをかけた。
「ただの夢だよ。何があったのか思い出せたわけじゃないんだ」
「でも爆発は二回とも起こったんやろ」
「う、うん」
 渋々頷いたシュウをなだめるように、浅葱は「推測やけどな」と前置きする。
「シュウくんがなくした五月九日の記憶はシュウくんの心のどこかに眠っていて、それが無意識のうちに夢として出てきてるんかもしれん。その日の夜にザーラ方面の空が赤く染まってたっていうのは前に話したやんな? 山を越えたこの御鷺国からも見えるような大火事が起こったなら、火元が工場っていうのはありそうな話や。全部が全部ただの夢とは言い切れないかもしれんな」
「ただの夢じゃないって……」
「兵器工場の爆発は本当に起こったかもしれんってこと」
 シュウはうつむいた。あの夢以外で、あんな恐ろしい炎の海を見たことはない。それも忘れているだけなのだろうか。
「とりあえず、これから見た夢の内容は一通り教えてな。どこかにシュウくんの記憶の手がかりがあるかもしれん」
「うん……」
 鬱々とし始めたシュウの眼前で、浅葱がぽん、と両手を叩いた。
「はい、そこまで」
「へ」
「悩んだって記憶は戻らんよ。あんまりくよくよせんと、楽しいこと考えようや。いいものあげるから」
「いいもの?」
 シュウが首をかしげる。浅葱はにっこりと笑みを浮かべ、懐から何か丸いものを取り出した。鶏の卵のように楕円の球体で、手のひらにすっぽり収まる大きさのそれは、白い包帯にぐるぐる巻きにされていた。浅葱の指が包帯の端をつまみ、するすると解いていく。包帯の下からは澄んだ青い色が現れた。どこかで見たことのある青い宝石だ。シュウはどこで見たのか思い出そうとして、あっと声を上げる。
 シュウが目を閉じた瞬間、瞼の裏の暗闇にぼんやりと男の顔が浮かび上がったのだ。それは紛れもないシュウ自身の顔であった。驚いて目を開けるが、鏡になるようなものは何もない。目の前にはただ浅葱が淡く光る宝石を手に座っているだけだ。
 もう一度目を閉じてみると、やはりシュウの姿が見えた。眉間にしわを寄せて目を閉じている。青い宝石から包帯が取り除かれるに従って視界も少しずつ広がっていくのが分かった。シュウは宝石の中から自分自身を覗いているのだ。いや、むしろシュウは青い宝石そのものになっていた。包帯がこすれる感触が分かる。浅葱の手のひらの温かさが伝わってくる。
 それで思い出したのは地下牢での出来事だった。浅葱に連れられて地下牢を出る前に、同じような青く光る宝石を見た。今も信じられないことだが、牡丹が不思議な術を使い、シュウの胸の中に文字通り手を差し入れてあの宝石を取り出したのだ。浅葱はおまじないのようなものだと言ったが、そう言えば何をしたのか詳しくは教えてもらっていなかった。
「これって……」
「どう説明したらええかな」
 浅葱はちょっと首を傾げた。
「これはな、シュウくんの『いのち』みたいなもんや」
「いのち?」
「魂って言ってもいいかもしれんな。ハインリッヒ語で言うと……何やろ。シュウくんのエッセンス」
「エッセンス?」
 浅葱の口から思いがけない言葉が飛び出てきて、シュウはオウム返しに繰り返す。エッセンスということは、シュウを構成する成分のうち最も重要なものだけを抽出した、というような意味になる。普通は人間に対して使うような言葉ではない。
「シュウくんは魔術師やろ」
「う、うん」
「おれはシュウくんの国の魔術にはあんまり詳しくないけど、魔術は誰でも使えるわけじゃなかったよな。素質がある人じゃないと魔術師にはなれない。違う?」
「合ってるよ」
 ハインリッヒ王国で魔術師になるためには、生まれつき魔力を持っていることが最低限必要だ。もちろん魔力があるというだけで魔術師になれはしないが、魔力を全く持たない人間はいくら努力をしても魔術を扱えるようにはなれない。
「そういう、生まれた時には既に備わっているその人の能力とか力みたいなものを、一箇所に集めて形にしたのがそれや」
 浅葱はそう言いながら青い宝石を指さした。シュウは指の動きに従ってもう一度宝石を見つめる。淡く光る宝石の表面は磨き上げられた鏡のようで、覗き込むシュウの顔を映していた。
「これが僕の魂?」
 恐る恐る手を差し出すと、浅葱がシュウの手に宝石を握らせた。それは見た目よりもずっと軽く、まるで生き物のような温かさを持っていた。浅葱の懐で温められていたわけではなく、この宝石が自ら熱を発しているのだ。それも少しずつ温度が上がってきている。シュウは戸惑った。
「アサギさん、なんか熱くなってきたよ」
「へ?」
 浅葱が宝石に手を伸ばす。その指が宝石の表面に触れた瞬間、バチッと音を立てて火花が飛んだ。目が眩むような青白い光が目を灼き、シュウは身をすくめる。浅葱もぱっと身を引き、宝石に触れた右手をさすった。
「いったー……」
「な、なにこれ」
 青白い光は激しさこそ失ったが、完全には消えることなくシュウの周りを取り巻いている。大きいホタルのような、丸い光の塊がシュウを守るようにふよふよと飛び回っていた。浅葱が後退し光から距離を取る。シュウは引きつった顔で叫んだ。
「アサギさん、見捨てないで!」
「ごめん、めっちゃ痛かったからつい」
 浅葱は肩をすくめて呑気に笑った。
「大丈夫やで。その光はシュウくんの力なんやから、シュウくんには扱えるはずや」
「そんなこと言われても!」
 シュウが焦れば焦るほど、光の動きは早くなっていく。それが恐ろしくて、更に焦ってしまう。
「ど、どうしよう!」
「まあまあ落ち着いて」
 対照的に浅葱はあくまでのんびりした口調だった。光の塊を事もなげに避けつつシュウに声をかける。
「目を閉じて、結晶を握って」
「結晶!?」
「その青いやつのこと」
 シュウはぎゅっときつく目を閉じ、必死に結晶というその宝石を握りしめた。浅葱の指示は続く。
「全身にできるだけ力を込めて。で、その力が全部、両手を伝って結晶のところへ向かうのを想像する」
 それは魔術を扱う時の感覚に少し似ていた。シュウは手が震えるほど結晶を強く握り込み、深呼吸をしながら全身の力を抜いていく。深く息を吸って、吐くたびに、周囲で暴れまわっている光が勢いを失っていくのが分かった。握りしめた結晶が温かくなっていく。シュウの体温と同じ温度になって、体の一部になっていくかのようだ。
 十分もすると、シュウの呼吸と光は落ち着いていた。シュウが目を開けると、周囲を飛び回っていた光は消えてしまい、握りしめた手の指の隙間から淡い光だけが漏れている。
「悪い悪い、驚かしたな。こんなに反応が大きいとは思わんかったわ」
「な、何だったの……?」
 離れていた浅葱が笑いながら戻ってきて腰を下ろした。シュウは結晶を掲げ持った体勢のままで固まっている。
「しばらく手放してた力がいきなり戻ってきたから、体がびっくりしたんやろうなあ。牡丹さんが結晶化してくれたとき、シュウくんをぱわーあっぷするって言うたやろ? 力を結晶化するってことは、その人の本来目に見えない力を抽出して形にすることで、その人の能力を大幅に向上させることができるんや。あの時はシュウくん、毒が回って死にかけてた上に妖異に追われとったからな。結晶化することでシュウくんの体を普通より丈夫にして、シュウくんの身を守ったってわけ」
 はあ、とシュウはよく分からないままに頷いた。
「それで、これ、どうしたらいいの」
「肌身離さず持っておくこと。一度結晶化したら元には戻せんからな」
 浅葱はそう言いつつ、ちょうど結晶がすっぽりと収まる大きさの袋を取り出した。首から下げるための革紐がついている。固まったシュウの指の中から結晶を取り出し、袋に入れてシュウの首にかける。
「落とさんように着物の中に入れとくんやで」
「う、うん」
「最初はどう扱っていいか分からんやろうけど、慣れれば今までよりもずっと強い力を使いこなせるようになる。シュウくんなら魔法の威力が上がったり、難しい魔法を使えるようになったりするかもな」
「ふうん……」
 シュウは首に下げた結晶を見下ろす。袋に入れたことで淡い光もほとんど外に漏れないようになったが、胸に当たるそれにはほんのりと温かさが残っていた。あの激しい光が自分の力だと言われても正直ピンと来ないのだが、そのうち使いこなせるようになるのだろうか。今は魔法を使うための杖も手元にないので、試してみることもできないが。
「アサギさんも持ってるの? その、結晶を」
「ん? うん。この里の人間は皆持っとるよ。ほら」
 浅葱は胸元に手を差し入れ結晶を取り出した。浅葱の結晶は深い赤色をしている。形や大きさはシュウのものとほとんど同じようだ。シュウの結晶は全体がぼんやりと淡い光を放っていたが、浅葱のそれは奥深くにきらきらときらめく光が埋まっているようにも見える。シュウはわあ、と感嘆の声を上げて結晶を覗き込んだ。
「何をやっているんだ」
 庭の方から声がかかり、シュウが振り向くとそこには松葉が立っていた。両手を腰に当て、心底呆れたという顔で二人を見ている。
「あ、えっと、こんにちはマツバさん」
 シュウは彼がなぜそんな顔をしているのか分からなかったが、とりあえず普通に挨拶することにした。その間に浅葱がそそくさと結晶を懐にしまう。
「あのな」
「まあまあ、固いこと言わずに」
「何でも喋るなとは言ったが、話すなら話すで伝えるべきことはきちんと伝えるべきだろう。違うか? そうでなければ昨日のように頭領の前で無礼な行動を取ることになるかもしれない」
「う、正論」
 据わった目で言い募る松葉に対し、浅葱は両手を上げ降参の意を示した。シュウもその隣で小さくなり、恐る恐る松葉に尋ねる。
「あの、僕はまた何か失礼なことをしたんですか」
「おまえが悪いわけではない。ただ、結晶はその者の弱点でもあるから、むやみやたらに人に見せるものではないんだ。だから間違ってもあなたの結晶を見せてほしいとか、あなたの結晶は何色かとか、聞くんじゃないぞ」
「そうなんだ。分かりました、気を付けます。……ごめんなさい、アサギさん」
「いや、おれこそごめんな。見せた方が分かりやすいかなと思って、つい」
 シュウは松葉の忠告を頭に刻み込んだ。昨日の名前の件で分かるように、異国の地では何気ない行動がとんでもない誤解を招きかねない。できるだけ周囲を驚かすことのないように気を付けておきたかった。浅葱のように優しく接してくれる人ばかりではないのだから。
「それで松葉、何か用があったんちゃうの」
「ああ、そうだ。頭領がお呼びだ」
 頭領、と聞いてシュウはびくりと緊張した。息せき切って尋ねる。
「ザーラのこと、何か分かったんですか!?」
「例の少女が目を覚ましたそうだ。おまえたち二人を会わせたいと仰っておられる」
 シュウと浅葱は顔を見合わせた。浅葱はちょっと首を傾げ、「……おれも?」と自分を指さして見せた。


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