第四章:裂いた赤い花 --2



「遅い!」
 ディックと二人で訓練場へ駆け込むと、指導教官の怒声が飛んできた。教官は訓練場の中央で腕を組んで仁王立ちしている。
「よりにもよって卒業試験に遅刻するとはどういうつもりだ!?」
「いや、遅刻してないですし。ギリギリ一分前じゃないですか」
「常に五分前行動を心がけろとあれほど言っただろうが!」
 これもまた聞き覚えのあるやり取りだ。シュウは身を縮め、教官に見えない位置でこっそりとディックを小突いた。
「……申し訳ありません。以後、気を付けます」
 二人揃って頭を下げる。その後の展開も一回目と全く同じだった。教官が卒業試験の説明をしている間に、白い布を被せられた大きな四角い檻が三つ運ばれてくる。台車を押していた討伐隊の隊員たちと教官が訓練場の端へと下がり、魔術師の張ったドーム状のバリアがシュウたちと三つの檻を囲んだ。
 あの中にモンスターがいるのだ。シュウは少し緊張していたが、二回目であることもあって流石に足は震えなかった。ディックが強張った笑みをこちらに向けるので、シュウも笑い返す。杖を握る手に力が入った。
「それでは、開始する」
 檻にかけられた布が取り払われ、狼によく似た形をしたモンスターが姿を現した。灰色の毛並みの奥に青色の瞳が爛々と輝いている。一つの檻に一体ずつ、合計三体だ。檻の扉が開き、モンスターはまっすぐに二人の方へ走り出した。剣を抜いたディックも地を蹴り、先頭の一体を迎え討つ。シュウは杖を掲げ精神を集中させた。青白い光が溢れ出し、彼の周囲を回りながら杖の先へと収束する。
「炎よ!」
 杖の先についた宝石の色が赤に変わる。収束した光もそれと同時に色を変え、炎に姿を変えながら二体目のモンスターに踊りかかった。モンスターの悲鳴が上がる。炎に視界を奪われ、よろめいたところをディックに切りつけられ倒れ伏す。
 残る一体はディックの脇をすり抜けシュウの方へと向かってきていた。これも分かっていた展開だ。シュウは地面に膝をつき、光を集めながら杖の先を地につけた。宝石の色が淡い水色に変わる。
「貫け」
 水色の光は地中に潜った。その直後、モンスターの目の前の地面から鋭くとがった氷の針が突き出す。モンスターは急に止まることもできず自ら針山へと突っ込み串刺しになった。びくびくと痙攣するたびに傷口からどす黒い血がこぼれる。
 三体のモンスターは全て動きを止めた。ディックは死骸から剣を引き抜き、モンスターが絶命したことを確認すると、剣にこびりついた血を軽くぬぐって鞘に戻そうとする。シュウは杖を構えたままそれを制止した。
「ディック、まだだ!」
 構えた杖の先はモンスターの入っていた檻へと向けている。ディックがその意味を理解し、剣を構えようとした時、檻の底がぱかりと開いた。モンスターが一体勢いよく転がり出てくる。ディックがすぐに駆け出す。シュウは電撃を放った。
「打てよ、雷!」
 白い光は目もくらむような速さでディックを追い越し、モンスターの顔面に直撃した。怯んだモンスターは悲鳴をあげる間もなく、ディックの剣に脳天を貫かれる。モンスターが焦げた臭いを撒き散らしながら地面に倒れると、彼らを囲んでいたバリアが解かれた。討伐隊の隊員が駆け寄ってきてモンスターの死骸を確認する。シュウとディックはふう、と息をついて緊張を解いた。
「二人とも、合格だ」
 教官がほっとしたような声でそう言った。
「不意打ちにもよく対応した。メーラーの方は気付いていなかったようだがな」
 ディックは小声でちぇっ、と漏らしたが、その口元は緩んでいる。対してシュウの方はとても笑う気になれなかった。また同じだったのだ。試験の内容もディックの動きも一回目と同じだった。やはり、いまは前回と同じ五月九日なのだ。ならばこの先に待っているのはあの火の海だ。
 合格した二人は、今後のことについて軽い説明を受けただけですぐに訓練場を追い出された。続けて次のペアの試験の準備をするのだろう。
 訓練場を出て、工場の壁に沿った道で二人きりになったタイミングで、シュウは足を止めた。ディックが振り向き、シュウの思いつめた表情にきょとんとする。
「どうした」
「ディック、お願いだ。今すぐここから離れて」
「は?」
「できるだけ工場から遠ざかるんだ。お願いだから」
「……何でだ?」
 シュウの様子でただ事ではないと悟ったのか、ディックも真剣な顔で尋ね返す。シュウは首を横に振った。説明している時間はない。
「理由はうまく説明できないんだ。でも信じてほしい。僕はディックを危険な目に遭わせたくない」
「これから一緒にモンスター退治しようっていう相棒に言うセリフじゃないな」
 ディックは軽く笑った。シュウの両肩を掴み顔を覗き込む。
「信じる。だから話せ、何が起こるんだ?」
 シュウは少しためらった後、ディックの眼差しに促されるまま口を開いた。
「工場が爆発する。……すごく大きな爆発だ。たくさんの人が死ぬと思う」
「それで逃げろってか。シュウはどうするんだよ」
「僕は……いかなくちゃ。どうして爆発が起こったのか確かめなくちゃいけない」
「ばか」
 ディックはシュウの頭を小突くと、先に立って工場の出入り口の方へと走り出した。
「起こる前提で話してるんじゃねーよ。爆発する前に止めるんだ!」
 シュウも慌ててディックの後を追った。ディックは五月九日にザーラの町で何が起こるかを知らないのだ。シュウとて結局何が起こったのかは分かっていないのだが、「町が燃えた」「毒霧が発生した」ことは起こってしまった事実として受け止めていた。だが、夢か現実かは今も分からないが、今は五月九日の正午過ぎなのだ。これから爆発が起こるのが決まっているとしても、今ならまだ止められるかもしれない。そのことに言われるまで気付かなかった。
 だが、恐らくもう時間がない。二人が工場の壁に沿って走っていくと、町の方から歩いてきた少年二人組とすれ違った。一回目でも彼らと会ったはずだ。爆発が起こったのは彼らと別れて間もなくのことだった。シュウは前を行くディックにそのことを伝えようとするが、喉が震えてうまく声が出なかった。怖い。このまま行けばその先に待つのは死だ。どうして呑気にも同じ道をたどってきてしまったのだろう。一回目の五月九日で命を落としたのは最初から分かっていたはずなのに。
 二人は工場の出入り口に到着した。大きな鉄製の門で仕切られた出入り口の両脇には、制服をきっちり着込んだ警備員が槍を立てて直立している。当たり前だが、正当な理由がなければ通してはくれないだろう。なんと言ってもここは兵器開発を行っている工場なのだ。警備員たちにじろりと睨まれ、ディックは耳打ちする。
「正面からは無理だな。さっきの所から忍び込もうぜ」
 それじゃ間に合わないんだ、と答えようとした時だった。息を切らしたシュウの視界、鉄製の門の向こう側に、見覚えのある白いものが見えた。白くひらひらと花びらのように揺れるそれは衣装だった。白い服を着た金の髪の少女が、裾をひるがえして駆けているのだ。殺風景な工場の中で、陽の光を浴びて輝く少女は一輪の花のようだった。しかし、どうして彼女がここにいるのだろうか。
 シュウは無意識に少女へ近付こうと門の方へ足を踏み出した。警備員が敵意を剥き出しにこちらへ向かってくる。ディックが慌ててシュウを止めようとする。その瞬間だった。
 すさまじい轟音と閃光、そして熱風が彼らを襲った。あっけなく吹き飛ばされたシュウはどこが地面かも分からないままに転がり、何か硬いものに背中をしたたかに打ち付けた。息が苦しい。全身が痛いのか熱いのか分からなかった。あるいはその両方かもしれない。閃光に灼かれた目では開いていたも何も見えない。耳もおかしくなっていて、ぐわんぐわんと耳鳴りだけが鳴っている。
 ここは地獄だ。こうなることが分かっていたのに、手をこまねいて見ていた僕は地獄に落ちたのだ。
 シュウは二度目の地獄を前に絶望的な気分だった。「また」死ぬのだろうか。その後はどうなるのだろう。ミサギ国で目を覚ますのか、それとも本当にこのまま終わりなのか。
 ひらひらと花びらが揺れている。少しだけ回復した視覚がその動きを捉えた。白い花びらはところどころ焦げ付き灰色に汚れている。きれいな金の髪も乱れて地面に投げ出されていた。シュウのぼたけた思考がふっと正気に戻った。あれは花じゃない。女の子だ。
 全身に力を込めると、ぼろぼろになった体でもどうにか頭を上げることができた。たったそれだけでも腕ががくがくと震え、それ以上起き上がることができない。シュウは少女に声をかけようとして咳き込んだ。空気が熱い。聴覚はまだ戻っていなくて、自分の咳もよく聞こえない。
 ぱらぱらと小石が降ってきたのに気付き、シュウは顔を上げた。シュウと少女のすぐそばで、どこかから飛ばされてきたらしい大きな瓦礫が傾いでいる。瓦礫の断面は爆風で無理やり引きちぎられたようにギザギザの凹凸になっていた。それがゆっくりときしみ、ぴくりとも動かない少女めがけて倒れていった。
 シュウは絶叫した。すぐにでも立ち上がった少女に駆け寄り、押し潰されようとしている彼女を助け出さねばならないのに、彼の体は指一つまともに動かせなかった。目を閉じることすらできず、シュウは少女の華奢な体が瓦礫の下に消えるのを見ていた。
 まるで真っ赤な花びらが朝日を浴びてゆっくりと開くかのように、瓦礫のしたから血が広がっていくのを、シュウはただ見つめていた。


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