第2章:目覚めればそこはベッドの中 --3



「遅い!」
 訓練場に駆け込んだ瞬間、怒声が飛んできて二人は思わず首をすくめた。百メートル四方の開けた空間のど真ん中で、五十代くらいのいかつい男が仁王立ちしている。シュウとディックは思わず顔を見合わせる。男は二人が入学以来ずっと指導を受けてきた教官だった。二人は奥の方に見える士官学校の校舎の時計を確認し、そろそろと訓練場に足を踏み入れた。
「よりにもよって卒業試験に遅刻するとはどういうつもりだ!?」
「いや、遅刻してないですし。ギリギリ一分前じゃないですか」
「常に五分前行動を心がけろとあれほど言っただろうが!」
 全く反省の色が見られないディックの返答で、教官の声に更に力が入る。シュウは黙って身を縮めながらディックをこっそりと小突いた。
「……申し訳ありません。以後、気を付けます」
 渋々といった感じでディックが頭を下げ、シュウもそれに倣う。教官はまだ何か言いたそうにしていたが、討伐隊の隊服を着込んだ男になにか書類を手渡されると途端に表情を引き締めた。
「では、これから二名の候補生の卒業試験を行う。名と所属を述べよ」
 二人が居住まいを正し敬礼する。
「はっ、ザーラ士官学校六年生、ディック・メーラーです」
「同じく、シュウ・カトライゼです」
「よろしい。それでは試験の内容について説明する。試験は二人一組で行う。装備は制服のみ、特別な防具などは使用してはならない。武器はあらかじめ届け出ているもののみ。メーラーは剣、カトライゼは杖だ。問題はないな?」
「はい」
「よし。試験内容はモンスターとの戦闘だ」
 教官の言葉に、ディックがごくりと唾を飲んだのが分かった。モンスターを見たことはあるが、実際に戦うのは初めてだ。討伐隊に入るのだから、いつか実戦の日がくるのはずっと前から分かっていた。それでも緊張する。
「制限時間はない。用意したモンスターを二人だけで殺すことができれば合格だ。モンスターは生け捕りにしたものを一週間ほど飢えさせてある。野生のものと同じ状態か、もしかするとそれよりも凶暴化している可能性もあるだろう。なお、試験の間は基本的に外から手出しをしないが、受験者の命の危機と判断した場合にはサポートをする。ただし、サポートを受けたらその時点で試験には失格だ」
 教官の後ろから、白い布をかぶせられた大きな四角い箱のようなものが三つ台車で運ばれてくる。中に何が入っているのかは考えなくても分かった。けものの呻り声がする。
 説明を終えた教官が訓練場の中心から離れ、四角い箱より奥に下がる。待機していた魔術師がシュウとディックを取り囲む大きなドーム状の半透明なバリアを張った。バリアの内側には三つの四角い箱も含まれている。これで、モンスターを倒さなければここから出ることはできなくなった。シュウは自分の足が震えていることに気付き、小さく首を振る。ディックが強張った笑みをこちらに向けるので、シュウも無理して笑顔を作って見せた。
「それでは、開始する」
 四角い箱にかけられた布が取り払われる。灰色の毛並みに爛々と輝く青色の瞳。狼によく似た形をしたモンスターだ。町を襲うモンスターの中でも一番数が多いものである。ディックが剣を抜いて油断なく構える横で、シュウは拍子抜けしていた。
(え、なんか小さくないか?)
 まだ子供のモンスターなのだろうかとも思ったが、モンスターの巣というのは山の奥深いところにあるものだ。いくらモンスターと戦うためにいる討伐隊でも、そんなところまでわざわざ出かけていって子供を生け捕りにできるわけはない。
 混乱しかけたとき、あることを思い出す。今朝見た夢のことだ。どことも知れない森の中でモンスターに襲われた。すぐに浅葱が倒してしまったが、あのときのモンスターは今目の前にいるものとそっくりな姿形をしているのに、二倍ほどの大きさがあった。
 シュウは首を振って雑念を追い払う。ただの夢だ。あまりにもリアルすぎただけだ。そんなことよりも戦闘に集中しなくてはいけない。
 ギギギ、と金属のこすれる耳障りな音を立てながら、モンスターの入った檻の扉が開けられる。三体のモンスターがまっすぐ二人の方へ走り出した。ディックが地を蹴ってモンスターを迎え打つ。
 シュウは杖の先をディックの背に向けて掲げ、精神を集中する。青白い光がぐるりと円を描き、彼の周りを回るようにして杖の先へと収縮していく。
「炎よ!」
 彼の声と同時に杖の先の宝石がぱっと赤く変わった。集まった光も燃えるような赤に色を変え、勢いをつけて宙を飛ぶ。ディックの頭上を飛び越えてモンスターの鼻面を叩くときには、それは光ではなく炎に変わっていた。怯むモンスターの眉間をディックの剣が貫く。
 断末魔の悲鳴を聞きながら、シュウはディックを通り越して自分の方へ向かってきたモンスターと対峙する。彼らには恐怖の感情がないのか、仲間がやられたというのに迷いがない。彼の足ではとてもディックの助けがくるまでモンスターから逃げきることはできない。シュウは思い切って地面に膝をつき、杖を地面に倒して押さえた。収縮する光の色が今度は淡い水色に変わる。
「貫け」
 杖の先から放たれた光はすぐに地面にぶつかる。そのまま消えてしまうかに見えたが、次の瞬間地面の中から鋭くとがった氷の針が飛び出してきた。それはちょうど全速力で走ってきていたモンスターの目の前で、モンスターは急に止まることもできず自ら氷の針山に突っ込んで動けなくなる。針から逃れようともがけばもがくほど傷口が広がっていき、ぼたぼたとどす黒い血が地面の色を変えていく。
 それは目を背けたくなるような凄惨な光景だったが、自分でも意外なことにシュウは平常心を保っていられた。初めて自分の手でモンスターを殺した、その高揚感のためだろうか。
 ディックの方を見ると、ちょうど同じタイミングでシュウを見た彼と目が合った。ディックの足元には血塗れになったモンスターの死骸が転がっている。頭のところにはディックの剣がざっくりと突き刺さっていた。彼は勢いよくそれを引き抜くと、モンスターの毛皮で軽く血をぬぐって鞘に戻す。シュウは立ち上がってディックの横に並び、バリアの外で見ている教官や討伐隊の人たちの方を向いた。
「よし、いいだろう」
 教官がそう頷いたのを見て、シュウとディックはほっと肩の力を抜く。二人の周りのバリアが解かれた。
「二人の連携はしっかりとれている。まあ合格点と言えるだろう」
「よっし! やったな、シュウ!」
 満面の笑みのディックががっしと肩を抱く。そういうのは後にしなよ、と慌てて諌めようとしたシュウは、その場の妙な雰囲気に気付いた。教官や討伐隊の人たちはにこりともせず二人を見ている。まだ何かあるのだろうか。それとも、単に態度をチェックされているだけなのだろうか。
 肩に回されたディックの腕がにわかに緊張した。彼も何かおかしいと気付いたのだろう。シュウは訓練場を見回すが、おかしな物は特に何もない。整備された広い空間の中、あるのはモンスターが入っていた檻ぐらいだ。
「あの」
 教官に尋ねようとした瞬間、何かが外れたような音がした。檻の底、台車の車輪の間がぱかりと開いて、そこから地面にモンスターが転がり出てくるのがスローモーションで見える。狼の殺気にあふれた目がまっすぐに二人をとらえた。距離は十メートルほどしかない、近すぎる。シュウは下がろうとするが、それよりも早くディックに蹴り飛ばされて地面を転がった。転がりながらも魔法を紡ぎ、ディックに飛び掛かる狼に向けて電撃を放つ。電撃が狼の肉を焼き、ディックの剣が頭蓋骨を割る。狼は凄まじい悲鳴を上げて絶命した。
 討伐隊の兵士が駆け寄ってきて、モンスターが死んだことを確認する。教官がかなり深いため息をついた後、どこか柔和さを感じさせる声で「二人とも、合格だ」と告げた。


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