第二章:目覚めればそこはベッドの中 --2



 市場を訪れる客にはいろいろな人がいる。近所に住む主婦が夕飯の買い出しに来たり、学校帰りの子供たちがお菓子を買いにやってきたりするのはもちろん、ミサギ国の品物を仕入れに来る全国の商人たちや、異国の品が店頭に並ぶ様を珍しがる観光客もちらほら見かける。だがその日シュウの目を引いたのは、何の変哲もない地味な服装をした男たちの集団だった。
 集団といっても、別に男たちはひとかたまりになって行動していたわけではない。大勢の人のいる中にぽつぽつと散らばっている。それでも彼らを「集団」だと思ったわけは、まとっている空気がどこか同じもののように感じたからだ。着ている服の色も形も違っているが、グレーや深緑、紺色など暗くて重たい印象の色が多い。表情に乏しく、どこを見ているのか分からない虚ろな目をしている。なんだか気味が悪いな、と見るともなしに見ているうち、シュウはあることに気付いた。男たちは全員武装している。
 ザーラは国境山脈に接しているため、モンスターの襲撃を頻繁に受ける。そのため王直属の討伐隊の約半数がザーラに駐留しており、日々襲い来るモンスターと戦って町の平和を守っているのだ。町の少年たちの多くは討伐隊の兵士になることを目指し、士官学校へ入学する。シュウとディックの二人が今日受ける予定である試験は、士官学校の卒業試験であると同時に、モンスター討伐隊の入隊試験でもあるのだ。これに合格すれば晴れて一人前の兵士として、モンスターとの戦いに駆り出されることになる。
 そういう町なので、市場にいる男が武装していたからといって不思議なことはない。討伐隊の兵士はたとえ非番の日でも万一の時にはすぐに現場に駆けつけられるよう、携帯できる武器を何か一つは持っておくものだと言われたことがある。
 だが、男たちの中には、明らかに常に持ち歩くような大きさではない武器を手にしている者が何人かいた。
 今日は何かあるのだろうか。繁殖期でモンスターの数が増えないように討伐隊を山に送り込むとか、大量のモンスターが町に押し寄せて来た時のために大がかりな軍事訓練を行うとか。それにしては、男たちの表情が暗いことが気にかかる。
「シュウ!」
 遠くの方から呼ぶ声が聞こえる。燃えるような赤毛の青年がこちらに向かって走ってきた。
「ディック、遅かったね」
「ああ、悪い、寝坊した」
 シュウと同じ制服に身を包み、帯剣している。彼は剣士だ。通常、卒業試験は前衛タイプと後衛タイプの二人一組で行われる。用いる武器は特に決められていないが、剣士と魔術師の組み合わせがもっとも一般的ではあった。
「てか、呼びに来てくれよ! もう時間ねーぞ!」
「こんな大事な日にまさか寝坊するなんて……おわっ」
 ディックに手を引かれ、転びそうになりながら走り出す。市場の時計に目をやれば、もう受付時間の十分前だった。シュウの顔がざっと青冷める。試験場である訓練場まではどんなに急いでも十五分はかかるのだ。
「大丈夫だ、なんとかなる!」
 シュウの心を読んだかのようにディックがそう言った。足の速い彼に置いていかれないように必死に走るシュウは、なんとかなるってどういうことだよ、と聞きたくても聞けない。
 町の中を走っていくと、大きな壁が目の前に立ちふさがった。ここはモンスターと戦うための武器や兵器を作っている工場だ。工場の敷地は町の中でもかなりの面積を占めており、ちょうど町を南北に分断するかたちになっている。当然ながら一般人は立ち入り禁止であり、そのため南側の住人が北側へ行くとき、もしくはその逆のときには、工場をぐるりと迂回して行く必要がある。訓練場まで十五分かかるというのもそのためだ。
「こっちだ」
 ディックが向かう方向は迂回する道とは逆方向である。なんとなく、シュウにはディックのやろうとしていることが分かったような気がした。
「ディック、まさか」
「ここから潜り込むぜ」
「無茶言わないでよ」
 工場の外壁のすぐ脇に、立ち並ぶ民家に寄り添うようにして大きな木が一本窮屈そうに立っていた。この木に登ってから、外壁の向こう側へ下りようというのだろう。シュウはすぐさま首を横に振った。卒業試験に遅刻だなんて許されることではないが、立ち入り禁止の工場の中に潜入するのはもっと恐ろしい。見つかったらどんなことになるか。
「普通に走って行ってさ、遅刻して申し訳ありませんって誠心誠意謝ろうよ」
「大丈夫だって。俺、何度か遅刻しそうになった時に、ここ通ってるんだよ」
 ディックはさっさと木に登り始めてしまった。シュウは慌てて辺りを見回すが、運がいいのか悪いのか近くには人気がない。早く来い、と上から促す声を断りきれず、半ばやけくそになって木の枝に足をかけた。
「工場って広いだろ。だから、絶対に人に見られたらまずいエリアと、見られてもそんなに問題ないエリアがあるんだ。この辺は資材の山とか、何年も使ってなさそうな倉庫とかばっかりで、見張りもほとんどいないんだよ」
 猿のようにひょいひょいと枝を移っていくディックを追いかける。地上からは高く見えた壁も、木を登っていくうちに少しずつその向こうが見えるようになってきた。最初は誰かに見つかることを恐れてびくびくしていたが、ディックの言うとおり工場の中には見張りの姿はない。登っていく途中で木の下を一人の老人が通り過ぎていったが、その間は音を立てないように動きを止めていたので気付かれることはなかった。

「遅い!」
 訓練場に駆け込んだ瞬間、怒声が飛んできて二人は思わず首をすくめた。百メートル四方の開けた空間のど真ん中で、五十代くらいのいかつい男が仁王立ちしている。シュウとディックは思わず顔を見合わせる。男は二人が入学以来ずっと指導を受けてきた教官だった。二人は奥の方に見える士官学校の校舎の時計を確認し、そろそろと訓練場に足を踏み入れた。
「よりにもよって卒業試験に遅刻するとはどういうつもりだ!?」
「いや、遅刻してないですし。ギリギリ一分前じゃないですか」
「常に五分前行動を心がけろとあれほど言っただろうが!」
 全く反省の色が見られないディックの返答で、教官の声に更に力が入る。シュウは黙って身を縮めながらディックをこっそりと小突いた。
「……申し訳ありません。以後、気を付けます」
 渋々といった感じでディックが頭を下げ、シュウもそれに倣う。教官はまだ何か言いたそうにしていたが、討伐隊の隊服を着込んだ男になにか書類を手渡されると途端に表情を引き締めた。
「では、これから二名の候補生の卒業試験を行う。名と所属を述べよ」
 二人が居住まいを正し敬礼する。
「はっ、ザーラ士官学校六年生、ディック・メーラーです」
「同じく、シュウ・カトライゼです」
「よろしい。それでは試験の内容について説明する。試験は二人一組で行う。装備は制服のみ、特別な防具などは使用してはならない。武器はあらかじめ届け出ているもののみ。メーラーは剣、カトライゼは杖だ。問題はないな?」
「はい」
「よし。試験内容はモンスターとの戦闘だ」
 教官の言葉に、ディックがごくりと唾を飲んだのが分かった。モンスターを見たことはあるが、実際に戦うのは初めてだ。討伐隊に入るのだから、いつか実戦の日がくるのはずっと前から分かっていた。それでも緊張する。
「制限時間はない。用意したモンスターを二人だけで殺すことができれば合格だ。モンスターは生け捕りにしたものを一週間ほど飢えさせてある。野生のものと同じ状態か、もしかするとそれよりも凶暴化している可能性もあるだろう。なお、試験の間は基本的に外から手出しをしないが、受験者の命の危機と判断した場合にはサポートをする。ただし、サポートを受けたらその時点で試験には失格だ」
 教官の後ろから、白い布をかぶせられた大きな四角い箱のようなものが三つ台車で運ばれてくる。中に何が入っているのかは考えなくても分かった。けものの呻り声がする。
 説明を終えた教官が訓練場の中心から離れ、四角い箱より奥に下がる。待機していた魔術師がシュウとディックを取り囲む大きなドーム状の半透明なバリアを張った。バリアの内側には三つの四角い箱も含まれている。これで、モンスターを倒さなければここから出ることはできなくなった。シュウは自分の足が震えていることに気付き、小さく首を振る。ディックが強張った笑みをこちらに向けるので、シュウも無理して笑顔を作って見せた。
「それでは、開始する」
 四角い箱にかけられた布が取り払われる。灰色の毛並みに爛々と輝く青色の瞳。狼によく似た形をしたモンスターだ。町を襲うモンスターの中でも一番数が多いものである。ディックが剣を抜いて油断なく構える横で、シュウは拍子抜けしていた。
(え、なんか小さくないか?)
 まだ子供のモンスターなのだろうかとも思ったが、モンスターの巣というのは山の奥深いところにあるものだ。いくらモンスターと戦うためにいる討伐隊でも、そんなところまでわざわざ出かけていって子供を生け捕りにできるわけはない。
 混乱しかけたとき、あることを思い出す。今朝見た夢のことだ。どことも知れない森の中でモンスターに襲われた。すぐに浅葱が倒してしまったが、あのときのモンスターは今目の前にいるものとそっくりな姿形をしているのに、二倍ほどの大きさがあった。
 シュウは首を振って雑念を追い払う。ただの夢だ。あまりにもリアルすぎただけだ。そんなことよりも戦闘に集中しなくてはいけない。
 ギギギ、と金属のこすれる耳障りな音を立てながら、モンスターの入った檻の扉が開けられる。三体のモンスターがまっすぐ二人の方へ走り出した。ディックが地を蹴ってモンスターを迎え打つ。
 シュウは杖の先をディックの背に向けて掲げ、精神を集中する。青白い光がぐるりと円を描き、彼の周りを回るようにして杖の先へと収縮していく。
「炎よ!」
 彼の声と同時に杖の先の宝石がぱっと赤く変わった。集まった光も燃えるような赤に色を変え、勢いをつけて宙を飛ぶ。ディックの頭上を飛び越えてモンスターの鼻面を叩くときには、それは光ではなく炎に変わっていた。怯むモンスターの眉間をディックの剣が貫く。
 断末魔の悲鳴を聞きながら、シュウはディックを通り越して自分の方へ向かってきたモンスターと対峙する。彼らには恐怖の感情がないのか、仲間がやられたというのに迷いがない。彼の足ではとてもディックの助けがくるまでモンスターから逃げきることはできない。シュウは思い切って地面に膝をつき、杖を地面に倒して押さえた。収縮する光の色が今度は淡い水色に変わる。
「貫け」
 杖の先から放たれた光はすぐに地面にぶつかる。そのまま消えてしまうかに見えたが、次の瞬間地面の中から鋭くとがった氷の針が飛び出してきた。それはちょうど全速力で走ってきていたモンスターの目の前で、モンスターは急に止まることもできず自ら氷の針山に突っ込んで動けなくなる。針から逃れようともがけばもがくほど傷口が広がっていき、ぼたぼたとどす黒い血が地面の色を変えていく。
 それは目を背けたくなるような凄惨な光景だったが、自分でも意外なことにシュウは平常心を保っていられた。初めて自分の手でモンスターを殺した、その高揚感のためだろうか。
 ディックの方を見ると、ちょうど同じタイミングでシュウを見た彼と目が合った。ディックの足元には血塗れになったモンスターの死骸が転がっている。頭のところにはディックの剣がざっくりと突き刺さっていた。彼は勢いよくそれを引き抜くと、モンスターの毛皮で軽く血をぬぐって鞘に戻す。シュウは立ち上がってディックの横に並び、バリアの外で見ている教官や討伐隊の人たちの方を向いた。
「よし、いいだろう」
 教官がそう頷いたのを見て、シュウとディックはほっと肩の力を抜く。二人の周りのバリアが解かれた。
「二人の連携はしっかりとれている。まあ合格点と言えるだろう」
「よっし! やったな、シュウ!」
 満面の笑みのディックががっしと肩を抱く。そういうのは後にしなよ、と慌てて諌めようとしたシュウは、その場の妙な雰囲気に気付いた。教官や討伐隊の人たちはにこりともせず二人を見ている。まだ何かあるのだろうか。それとも、単に態度をチェックされているだけなのだろうか。
 肩に回されたディックの腕がにわかに緊張した。彼も何かおかしいと気付いたのだろう。シュウは訓練場を見回すが、おかしな物は特に何もない。整備された広い空間の中、あるのはモンスターが入っていた檻ぐらいだ。
「あの」
 教官に尋ねようとした瞬間、何かが外れたような音がした。檻の底、台車の車輪の間がぱかりと開いて、そこから地面にモンスターが転がり出てくるのがスローモーションで見える。狼の殺気にあふれた目がまっすぐに二人をとらえた。距離は十メートルほどしかない、近すぎる。シュウは下がろうとするが、それよりも早くディックに蹴り飛ばされて地面を転がった。転がりながらも魔法を紡ぎ、ディックに飛び掛かる狼に向けて電撃を放つ。電撃が狼の肉を焼き、ディックの剣が頭蓋骨を割る。狼は凄まじい悲鳴を上げて絶命した。
 討伐隊の兵士が駆け寄ってきて、モンスターが死んだことを確認する。教官がかなり深いため息をついた後、どこか柔和さを感じさせる声で「二人とも、合格だ」と告げた。


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