事件ファイル#01 幸運なる左遷 --7



 俺の存在にようやく気付いたニコルズが振り返る。剣を抜かれるよりも先に、勢いをつけて体当たりをかまし、それと同時に剣の柄を鳩尾めがけて叩き込んだ。ぐっ、と呻き声をあげたニコルズの手の内で、光を反射したナイフがぎらりと光る。反射的に左半身をよじった。左の肩をかすめた刃先をやりすごし、ナイフを突き出したニコルズの右腕を掴んで引き寄せる。ニコルズがバランスを崩したところで、腕を掴んだ状態のまま足払いをかける。ぐるりと綺麗に回転して床に転がったニコルズの背中を思いっきり踏みつけた。
「げえっ!」
 もがく隙を与えず両腕をひねり上げる。それでも抵抗を止めないので、捕えた両腕を構造上曲がることのできない向きに思いっきり引っ張ってやった。途端に情けない悲鳴が上がる。
「いててててっ! やめろ、やめてくれよ!」
「なら大人しくしろ」
 何か縛るものはないか、と周囲を見回し、そしてまずいことに気付く。ニコルズの方に気を取られて、炎を消さなければいけないことを失念していた。火をつける直前にまいた液体は揮発性のものだったのか、机の上は大きな炎が燃え上がっていると言うほどではなく、火がついてしまった書類のいくつかがちろちろと燃えているだけだ。それでも大切な書類が着実に焼失していっている。非常にまずい。だが今手を離せば、せっかく捕まえたこいつが逃げて行ってしまう。
「ラテス君!」
 名前を呼ばれる。それと同時に、消えていた部屋の灯りがぱっと一度に点いた。給湯室のドアの前に姿を現したワナン大尉がロープを投げる。俺はそれを受け取ると、まだ抵抗しようとするニコルズを押さえ込みながら縛り上げた。とりあえず身動きができないように両手両足を縛り上げ、ロープを机の脚にも通しておく。
 それから上着を脱いで、まだ燃え続けている書類の上にぼふぼふと何度も叩き付ける。俺が消火活動に必死になっているうちに、大尉もデスクのところまで車椅子を動かし、まだ被害を受けていない書類をどけたりして手助けしてくれる。完全に消火できるまでにはそれほど時間はかからなかった。
「お手柄だね、ラテス君」
「大尉、お怪我はありませんか」
「大丈夫だよ。私はずっと給湯室に隠れていたから」
 火の気が消えたことを確認すると、大尉の顔に笑みが戻る。焦げてしまった机越しに大尉の様子をうかがうも、危害を加えられた様子はない。俺は安堵のため息をついた。
「いやあ、灯りを消して待っていれば、犯人が報告書を盗みに来るんじゃないかと思ったんだが。まさか放火されるとは思わなかったよ。ラテス君が来てくれなかったら危なかったなあ」
「そんな危ないことしないでくださいよ……」
 大尉は危機感のなさすぎる発言をしつつ、燃えてしまった書類を選り分けていく。俺はがっくりと肩を落とし、それを手伝おうとした。だが、床に転がるニコルズにふくらはぎを蹴られて手を止める。
「おい、いい加減ほどけよ! 俺は別に放火なんてするつもりじゃなかったんだ、これは、そう、事故なんだ!」
「往生際の悪い奴だな」
 床をもぞもぞと這い回るようにしてもがいているニコルズを見下ろし、俺は思わずため息をついた。急いでいたため縛り方が甘かったかもしれない。逃げようとするニコルズの首根っこを掴んで引き戻すと、俺はロープの残りを使って絶対に抜け出せないようにぎっちりと縛り上げていった。その間ニコルズはひたすら「バカ、やめろ、俺は悪くない」と同じ言葉を繰り返して喚いている。俺は何だか今日一日の疲れがどっと押し寄せてきたような気持ちになりつつ、彼の言葉を聞き流していた。俺も人のことが言えたものではないが、こいつ相当バカなんじゃないだろうか。この状況で申し開きができると本気で思っているのか。
「第六隊所属のビリー・ニコルズ君」
 ぎゃんぎゃん喚き散らしていたニコルズは、大尉に名前を呼ばれるとぴたりと口をつぐんだ。その顔には「どうして俺の名前を知ってるんだ」と書いてある。
「君は今季の戦争で命を落とした同僚、マッシュ・ベルツの殉職に関する報告を故意に握りつぶした。ベルツは爆薬の扱いに長けていたため、武器庫に立ち入る許可を与えられていた。その許可証を君は持ち出した。ベルツになりすますことで武器庫に侵入し、六隊の武器を外部の者に無断で売却した」
 大尉の言葉を聞いているうち、ニコルズの顔はどんどん青ざめていった。どうやら正解のようだ。
「武器を無断で持ち出せば、在庫の管理をしている者にいずれは気付かれる。そこで君は経理係を味方に引き込み……もしくは脅して、不正が露見することを防ぐため報告書を改竄させた。しかし、その改竄によって生じた矛盾点をカーライン中尉に指摘されてしまった。そこで君は報告を偽ることを諦め、いっそ記録ごと抹消してしまおうとここに忍び込んだ」
「な、なんで」
 ニコルズはぽろりとそう零し、続く言葉を失った。唖然とした彼を見下ろし、大尉がふふ、と吐息で笑う。目は笑っていない。
「おや。当たっていたようだよ、ラテス君」
「……そうですね」
「爆弾を送りつけてきたのは何故かな。報告書の改竄が間に合わず、騒ぎを起こすことで報告の期日を延ばそうとしたとか? 報告書が穴だらけだったのは提出期限が伸びなかったからかな?」
 大尉が続けて責めたてると、もはや反論もできないニコルズが、喉の奥がつぶれたような変な声で呻いた。ようやく観念したようで、もがくのを止めて大人しくなる。
「……大尉と中尉が考えた通りだったんですね」
 うなだれるニコルズを見下ろしながら思ったままを口にすると、大尉は目を瞬かせた後でいつもの微笑を浮かべ「偶然だよ」と謙遜してみせた。

 犯人を捕まえ、一件落着だと思ったのだが、後始末には思いの外時間がかかってしまった。まずは扉のところで気を失っていた見張りの兵士を介抱する。兵士は事前に大尉から「寝たふりをして、侵入者を通すように」と命じられており、狸寝入りをしていたのだという。途中で目を覚まされては困る、と判断したニコルズに頭を殴られ気絶したというわけだ。殴られた部分に小さなたんこぶはできていたが、幸いにもそれ以上に怪我はなかった。
 次に第十一隊へ連絡し、縛り上げた状態のニコルズの身柄を引き渡す。大尉は事件の経緯やら犯行の動機やらを十一隊の兵士に説明した。まるで自分のことのようにすらすらと話す様を、ニコルズが気味悪そうに見ていたことぐらいしか覚えていない。なにしろ、眠たかったのだ。
 そして最後に、ニコルズによって散々散らかされた執務室を軽く片付け、後始末を終わりにした。と言っても片付けは全く終わっていない。机の上は焼け焦げ、読めなくなった書類も多くある。書類は床の上にも散乱し、その上で格闘したため千切れてしまった紙もある。それらを全て片付け、あるべき姿に戻すのはなかなか大変だろう。俺はうんざりした表情を隠すこともできなかったが、大尉もそれを咎めようとしなかった。満場一致で、これ以上の後始末は明日にしよう、ということになった。

 止まらない欠伸を繰り返しながら、俺は兵舎へと戻ってきた。既に東の空は白み始めている。始業時間までもう長くないだろうが、少しでも頭と体を休めておきたかった。今日は、とにかくいろんな事があったのだ。兵士である以上体はそれなりに鍛えているつもりだが、人間というもの、初めての環境に放り込まれるのはやはり緊張を伴うものだ。一刻も早くベッドに飛び込み惰眠をむさぼりたい。その一心でいたため、自室の部屋のドアを開けたとき、俺は眼前の光景に一瞬だけ混乱してしまった。
 自室に匿っていたカーライン中尉が、床に座り込んで眠っていた。俺がここに戻ってくるのを待っていたのだろう、きちんと制服を着たまま、ベッドにもたれかかり舟をこいでいる。
 ベッドが二つもあるのだから、横になって休んでいればよかったのに。決して中尉の存在を忘れていたわけではないのだが、結果的に待ちぼうけを食わせてしまったことに罪悪感を覚える。
「起きてください中尉、風邪をひきますよ」
「んー……」
 肩をそっと揺すってみるが、寝ぼけているのか中尉は目を閉じたまま意味のない声を漏らした。無理に起こすこともないだろう。俺は中尉をベッドに寝かせようと抱え上げた。見た目の細さを裏切らず、中尉の体は子供のように軽い。
 殺そうと思えば一瞬で殺せるな、と物騒な考えが頭をかすめる。何しろ体を運ばれても目を覚まさないのだ。これから護衛としてこの人の身を守っていくにあたって、少々頭の痛いことではある。
 中尉の体に毛布をかけ、自分も向かいのベッドに潜りこむ。すぐに襲ってきた眠気に身を任せ、まどろみの中目を閉じる。もう少しで起床の合図が鳴り響き、俺も中尉も目を覚ますことだろう。そうしたらきっと、この年下の上官は、途中で寝てしまってごめんなさい、などと謝らなくていいことを謝ってくるだろう。その時は彼が気に病まないよう、明るく笑い飛ばしてしまおう。そんなことを考えたのを最後に、俺の意識は穏やかな眠りの中に落ちて行った。



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