04 裏路地にて



「ジャン様でしたら、まだお帰りになっていらっしゃいません」
「そうか、ありがとう」
 申し訳なさそうに頭を下げるメイドに礼を言って、ヴァンサン家を後にした。あらかた予想できていたことではあるが、ジャンは大人しく家で俺を待ってはいなかった。歩きながら、ジャンの行きそうな先をいくつか思い浮かべる。あいつのことだから、俺を待ちきれずに一人で犯人捜しを始めているのだろう。いくらなんでも、本当に女装をして街を歩き回っているとは思いたくないが、絶対にないとは言い切れないのが頭の痛いところだ。「ヴァンサン家の一人息子には女装趣味がある」なんていう噂が立った日には、厳格な父親であるジョゼフは息子を容赦なく殴り倒すだろう。まあ、そうなったら自業自得としか言いようがないのだが、友人としては止めてやらなくてはなるまい。
 犯人を捕まえようと思うなら、行き先はこれまでの事件が起こった現場だろう。殺人事件は全部で四件起こっているが、全ての現場までは覚えていない。何回目の殺人だったか、場所が賑やかな市場にほど近いところだった記憶はある。俺はひとまずその市場の方へ向ってみることにした。

 市場をぶらぶら歩いてみても、ジャンの姿は見当たらなかった。だいぶ日が傾いてきている。風の冷たくなった市場には少しずつ人影が少なくなりつつある。未だに捕まらない殺人犯を警戒しているのだろう、いったん人が減りだすと、急に家路に着く人が増えたようだった。早々と店じまいを始めている店もある。果物屋の前では、水色のワンピースを着た少女が大きな箱を抱えて運んでいた。少女は頭をすっぽりとストールで覆っている。金髪なのだろうか。このところ同じようにして髪を隠している女の子をよく見かけるが、隠すことによって余計に金髪であることが目立ってしまっているようにも思う。ではどうすればいいのか、と問われれば返答に窮するところではあるが。もし自分の家族に金髪の者がいたら、やはり隠してほしいと思うだろう。
「きゃっ」
 強い風が吹いて、少女の小さな悲鳴が聞こえた。振り返ってみると、少女はストールを押さえしゃがみこんでいる。運んでいた箱を落としてしまったのか、足元には横倒しになった箱があり、そこから赤いリンゴがころころといくつも転がり出てきていた。
「あ、待って!」
 そのうちの数個が路地の方へ転がっていくのを見て、少女は慌てて後を追った。薄暗くなってきた今、ただでさえ人気のない路地は危険だ。少女を追いかけようと踵を返した俺の目の前を、見知った顔が横切った。
「……エド?」
 エドワードだった。少し距離があいていたためか、声をかけられたことに気付かず路地へと入っていく。弟妹たちのお守りは終わったのだろうか。どちらにしろ、エドワードがいるなら心配ないだろうと、歩みを緩めて路地を覗き込む。だが、予想に反してそこには誰の姿もなかった。俺は呆気にとられてしばしその場に立ち尽くす。道を間違えたわけではない。その証拠に、俺の足元には真っ赤なリンゴが2、3個落ちたままになっていた。
「エド? どこに行ったんだ?」
 声をかけてみても返事はない。エドワードは少女の手助けをしようとしたのではなく、たまたま通りがかっただけだったのか。それなら少女はどこへ行ったのか。
 嫌な予感がする。俺は足を速め、細い路地を一つ一つ覗き見ていった。夕刻の薄暗い裏路地には人っ子一人見当たらない。何本目かの路地で、ようやく人影を見つけた。
 路地には薄汚れた大きな木箱が雑然と積まれている。それを避けつつ近付いていくうち、こちらに背を向けているエドワードと、彼と向かい合う少女が見えてきた。水色のワンピースを着た少女は壁にぴたりと貼りつくように立ち尽くしており、その顔は不自然に強張っている。あの果物屋の少女だ。年の頃はミティーと同じくらいだろうか。やはりストールで隠していた髪は金色である。そのストールはどこかに落としてしまったようだ。
 エドワードはじっと少女を見据えながら、何事かをぶつぶつと呟いていた。はっきりとは聞き取れないが、どこか異国の言葉だろうか。明らかに様子がおかしい。俺はエドワードに気付かれないよう静かに二人へ接近していく。
 しばらく時間が経っても、エドワードは動かなかった。俺はエドワードのすぐ後ろの木箱の陰まで近付いたが、エドワードに気付いた様子はない。そっと顔をのぞかせ、少女に向けて手を振ってみると、彼女の方は俺に気付いてくれた。恐怖に凍り付いた顔がすがるようにこちらを見つめてくる。俺は彼女を安心させるため大きく頷いて見せてから、エドワードの肩にそっと手をかけた。
「エド」
 ぐりん、と音がしそうなほど勢いよくエドワードの首がこちらを向いた。怖いほど表情のないその顔に少し気圧され、同時に彼が手に持っていた物に気付いてぞっと悪寒が走る。それは中世の絵画にでも出てきそうな、古臭い剣だった。やたらと装飾がついていて、実戦向きのものではない。――だがそれには、滴るほどの黒い血と、肉片らしきものがこびりついていた。
 吐き気がこみ上げる。なぜ今まで気付かなかったのか、エドワードの周囲からは鼻が腐り落ちそうなほどの腐乱臭が漂っていた。思わず顔を歪める。彼に声をかけて、何を言うつもりだったのか、全部飛んでしまった。とにかくまずは少女を逃がさなくてはいけない。エドワードの無感情な瞳に見つめられているのを感じながら、俺は少女に目線だけで逃げろ、と合図した。
 少女は最初こそ泣きそうな顔で動けずにいたが、何度か合図を送っているうちに、少しずつ足が遠ざかり始めた。それを確認しつつ、俺は腐臭に耐えてエドワードの目を見つめ返した。
「エド、一体これはどういうことだ」
 返事はない。エドワードはのろのろと視線を落とす。手にした血塗れの剣を見て、無言のまま少女の方へ向き直った。少女は彼からやっと三歩ほど離れていたが、びくりと震えまた足を止めてしまう。エドワードがカッと目を見開いた。剣を掲げ、少女に向かって突進する。
「やめろ!」
 もうなりふり構ってはいられなかった。俺は全力で彼に体当たりし、剣の軌道を少女からずらす。剣は少女のすぐ横の壁に突き立てられ、がりがりと音を立てながら壁を削っていく。
「逃げろ、早く!」
 彼を押さえながら叫ぶが、少女は完全に腰を抜かしてしまっていた。必死に逃げようとはしているが、遅すぎる。俺は腰に差していたナイフを抜いた。血まみれの剣を握りしめている、彼の右腕に突き立てる。さすがに、彼の顔は痛みで歪んだ。それでも剣を離そうとはしない。蹴り飛ばされそうになり、俺は少女との間に立ち塞がる位置へ飛び退いた。右腕からナイフが抜け、返り血が派手に飛ぶ。
「あ……ああああっ」
 突然、エドワードが叫び出した。服が汚れるのも構わず、剣を抱きかかえるようにして膝を折る。そのまま地面に座りこむと、うつむいて嗚咽を漏らし始めた。俺はナイフを構えた状態のまま、警戒を解かずに話しかける。
「……エド?」
 返事のかわりに嗚咽が返ってきた。うつむいた頭が小さく頷いたように見え、質問を続ける。
「何をやってたんだ」
「ああ、ああ、何ということだ。こんな……ひどい……全て台無しだ」
「エド、質問に答えてくれ。おまえが連続殺人犯なのか」
「私……私は……」
 ごとり、と重たい音がして剣がエドワードの手から落ちる。不思議なことに、少し腐臭が和らいだような気がした。同時にエドワードの瞳に正常な光が戻ってくる。俺を見上げる彼の瞳はしかし、絶望に満ちていた。
「……ランドルフ様、私は、私は取り返しのつかないことを」
 見る見るうちに涙があふれ、返り血のついたエドワードの頬が濡れていく。涙と血が混ざってぐちゃぐちゃになった顔を覆い、エドワードは泣き崩れた。
 うずくまって泣き続ける大の男を前に、俺はどういう顔をしていいのか分からなかった。果物屋の少女が路地裏から逃げ出したのを確認してからナイフを下ろし、すぐに対応できるよう右手に持ったままでエドワードに少しずつ近付いていく。
「本当に、おまえが、殺人犯だったのか」
 呟くように問いかける。エドワードは嗚咽交じりに申し訳ありません、と声を絞り出した。謝る相手は俺ではないだろう。俺はぎりっと唇を噛んだ。気付かずにいた自分が情けない。大事な弟妹も、シェナだって、殺されていたかもしれないのだ。
 俺はエドワードの前まで来ると、片膝をついてしゃがみこんだ。
「エド。なんでこんな事したんだ。なにか理由があるんじゃないのか。おまえは……こんな馬鹿なこと、するやつじゃないだろ」
 腐臭。指の間から俺を見上げるエドワードの目が獣のようにぎらりと光るのを見た。
 血塗れの両手で後頭部を掴まれる。ナイフを突き付けて牽制しようとしたが、エドワードはまるでナイフなど見えてすらいないかのように迷いがなかった。ためらった隙に頭突きを喰らう。左目の少し上。視界が白く歪んだ。埃っぽい地面に頬を押し付けて、口の中へ入った砂を吐き出す。一瞬だけ平衡感覚を失っていた。自分で倒れたのか押し倒されたのか分からない。
「馬鹿なこと、だと!? ふざけるな!」
 エドワードは俺の上に馬乗りになってそう叫んだ。胸ぐらを掴み起こされ、がくがくと揺さぶられる。血走った目が極限まで見開かれていた。腕の傷からはまだ血が流れているというのに、傷の痛みを感じている様子もない。俺は気付かれないように右の膝を曲げ、エドワードの鳩尾に蹴りを入れる。力が緩んだ隙に突き飛ばし、エドワードの下から抜け出た。飛び起きて更に距離を取ろうとした瞬間、眼前を横切って何かが壁に突き立つ。血塗れの剣だ。あとほんの少しでも前に出ていたら、俺の鼻は削ぎ落とされていただろう。
「……ここで終わるわけにはいかない」
 耳元で囁かれると同時に、後頭部に衝撃と熱を感じる。ぶつん、と糸が切れたように視界が真っ暗になり、俺の意識は強制的に断ち切られた。



 目を開けると、そこは見知らぬどこかのボロ屋だった。部屋の中が暗くてほとんど見えないが、あちこちで壁紙らしきものがべろりと剥がれ落ちている。床の上は路上の砂ぼこりの方がましに思えるほど埃だらけだ。部屋は十メートル四方ほどの広さがあり、中央には天井から落下したらしいシャンデリアが放置されている。窓は板が何枚も打ち付けられて封鎖されていた。板の合間から漏れてくる光は月の光だろうか。もう夜になってしまったらしい。
 起き上がろうとして、手が動かせないことに気付く。手首に冷たい金属の感触があった。手錠だ。身をよじってみると、すぐ後ろには何年も火を入れていないであろう、古びた暖炉があった。暖炉の前に錆びた鉄の柵が設置されていて、手錠はそこを通してかけられているようだ。手と手が離れないだけでなく、暖炉の前からも離れることができない。
「……悪い冗談だ」
 呟いた声は思いの外、震えていた。寒いのだ。わずかに漏れる月の光の中でさえ、吐息が真っ白に染まっているのが分かる。手錠や鉄柵は冷たい空気の中冷え切っていて、服の上からでも体温を奪われていく。俺はぶるり、と大きく震えた。どれだけ力任せにもがいても、手錠と鉄柵は外れてくれそうにはない。手足の届く位置には鍵を開ける器具になるものは見当たらない。
 いっそのこと大声を上げて助けを呼んでみるべきだろうか。だが、夜中にこんな場所を通りかかり、しかも助けてくれるような人はいないだろう。近くにエドワードがいたら更にまずいことになる。
 ドアノブを回すかすかな音がした。全身に緊張が走る。暖炉の反対側でドアがゆっくりと開いて、男が一人現れる。またあの腐臭がただよってきた。エドワードか。
「お目覚めですか、ランドルフ様」
 月明かりが照らし出すエドワードの顔は、いつも通りの柔和な笑みを浮かべていた。俺にかける言葉も優しく、少し拍子抜けする。顔や手足の血は洗い流してしまったらしく、見た目は完全に普段通りのエドワードだった。
「なかなか起きないので心配しましたよ。このまま起きなかったらどうしようかと」
 エドワードはどんどん近付いてくる。足元まである長いコートを着ているようだ。歩くたびにひらりと捲れるコートの中に、黒い剣を佩いているのが見えた。寒さで震え始めた背中にじわりと嫌な汗が浮かぶ。
「……俺も殺すのか、エド」
 小さな声で問いかければ、エドワードはきょとんと何も知らないかのような顔で俺を見つめた。
「なにを仰るんですか」
 エドワードがしゃがみこみ、コートの裾は埃まみれの床に擦れる。
「悪いことをした人は、罰されなければいけないでしょう。あなたを殺すのは私ではありませんよ。神様があなたを罰してくれます」
 エドワードの手が、腰に佩いた剣を愛おしげに撫でている。剣の柄には鮮やかな緑色の宝石が一つ飾られていた。他の装飾が形だけは豪華でも黒一色なのに対して、その宝石だけは吸い込まれるように綺麗な緑だ。どこかで見たことのあるような色だったが、思い出せない。
「これは神様がくださったプレゼントなんです」
「プレゼント?」
「ええ。初めてこれを手にしたとき、神様は言いました。なんでも、私に望むものを与えてくれると。私は冗談のつもりで……好きな人が欲しいと言ったのです。そうしたら、なんと、神様はそれを与えると約束をくださった」
 語るエドワードの顔は心から幸せそうだった。じわりと沸き起こる恐怖を押し殺しつつ、黙って続きを聞く。
「私はそれから、神様との約束のために、材料を揃えているのです。材料が全て揃えば、神様が愛しいあの子をつくってくださる。私の邪魔をすることは、すなわち神様の邪魔をすることなのですよ。だから、罰せられると言ったのです。お分かりですか、ランドルフ様」
「……材料、っていうのは」
「最初はやはり、あの子の一番素敵な髪が必要だと思ったのです。日の光を浴びてきらきらと輝く、天使のようなあの子の髪が。でも、なかなか見つからないのですよ。あの子にふさわしい綺麗な長い髪。他の材料は妥協できても、ここだけは妥協してはいけないんです」
 エドワードは狂っている。それがはっきりと分かった。連続殺人事件の犯人は、本当にエドワードだったのだ。それも、なんの恨みもない関係もない少女たちを、こんなわけの分からない理由で殺しまわっているのだ。胸の奥が重い。恐怖か、怒りか、それとも失望か。
「聞いていますか」
 前髪を乱暴に掴まれ、無理矢理上を向かされる。すぐ眼前に迫ったエドワードの顔はあくまでも優しい。
「これは罰なのです。だから、あっさり死んでしまっては駄目ですね。自分のしたことを後悔しながら、ゆっくりと苦しんで、かつ着実に死に至る必要があります」
「結局、殺すのか。そうやって神様のせいにすれば気持ちが楽になるか?」
「理解していないようですね。これは罰です」
 髪を掴んだ手で床に頭を叩き付けられた。
「っ! ……う」
 衝撃で意識が一瞬飛んだ。わざとなのか、さっき頭突きをくらった場所と同じところを打ったようだ。視界がぐるぐる回っているような感じがする。気持ち悪い。
「ん、むっ」
 突然口の中へ布の塊を押し込まれた。舌で押し出そうとするが、それよりも早く猿轡をかまされてしまう。まずい。これでは本当に、助けも呼べない。
 情けない状態の俺を勝ち誇ったように見下ろし、エドワードは笑った。
「今夜は冷えるそうです。着の身着のままではさぞかし寒いでしょうね。でも安心してください。きっと明日の朝にはもう、罰は終わっているでしょう。神様はお優しいから」
「んんっ」
 エド、と呼びかけた声はもう言葉にならなかった。




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