第3章:咲いた白い花 --4



 横になっているシュウの後ろで動くものの気配がした。振り返ってみればそこには、いつの間に移動してきたのか二羽の鶏が小さく身を寄せている。ぷるぷると震えているようにも見える鶏たちは、見知らぬ人間であるシュウを恐れる様子はない。シュウよりも、どこかに潜んでいるかもしれない妖異の方が恐ろしいのだろう。当たり前だ。シュウとて恐ろしい。もっとも、牡丹の言うことが本当なら妖異はもう近くにはいないはずだが。
 怯えている様子が憐れに思えるが、シュウにしてやれることは何もない。まさか犬や猫のように頭を撫でてやるわけにはいかないし、襲ってくる妖異から守ってやることがそもそもできない。せめて杖があれば。
 そう、杖だ。シュウははっと顔を上げた。本来なら彼にだって戦う手段はあるのだ。彼はザーラで見習いの魔術師だったのだから。試験に受かったのは夢かもしれないが、試験に向けて魔術の練習を繰り返してきたのは夢ではない。杖さえあれば使える魔法がいくつかある。シュウは起き上がり、きょろきょろと部屋を見回して杖を探すが、とりあえず目に付くところには置かれていないようだ。
「牡丹さん」
「はい」
「僕の、杖はどこですか」
 牡丹が少し首をかしげる。杖というだけでは意味が伝わらないかもしれないと思い、補足しようと口を開きかけた途端、彼女が答えた。
「あなたが発見されたときに身に着けていたものでしたら、今から浅葱が持ってきます。ですが、杖はありませんでしたね」
「え……」
 杖はなかった、ということは、少なくともザーラに着いたときには杖を持っていなかったということだ。持ってこなかったのか、途中で失ったのか。どちらかは分からないが、どちらにしても今は杖を手にすることはできないということだ。
「あの、代わりに何か、貸してもらえませんか」
「代わり、ですか」
 魔法を使うにあたっては、やはり長年愛用してきた杖を使うのが一番やりやすいのだが、異常な事態にある今はそんなことを言っていられない。この隠れ里とかいう場所にいる間は浅葱たちが守ってくれるかもしれないが、シュウはいずれ故郷に戻らなければならないのだ。その時のことを考えれば、早めに杖を貸してもらい戦いに慣れておいた方がいいだろう。そう考えての発言だったのだが、牡丹の反応はどこかおかしかった。
「あなたの言う杖とは、老人が支えにするものとはまた違う杖なのですね?」
「えっ? あ、はい。魔法を使う、杖です」
「……魔法というのは、術とは違うのですか?」
「え?」
 シュウは質問の意味が分からず、言葉を続けられなくなってしまった。術とは何のことだろうか。
 牡丹の表情にかすかな不機嫌さが混じった。シュウは怒らせてしまったかと身を縮めるが、彼女の怒りは別の所へ向いていた。
「浅葱。見ていないで出てきなさい」
「え」
「あ、やっぱバレてたか」
 からりと襖が開き、服を着替えた浅葱が現れる。頭から浴びた妖異の血は綺麗さっぱり洗い流されており、濡れた若草色の髪の先から水がしたたっている。腕には布の包みを一つ抱えていた。
「何をもたもたしていたのですか」
「だって、困ってる牡丹さんなんて滅多に見れんやん」
「私を困らせて楽しいですか」
「うん」
 牡丹の語気が荒くなってきているのに気付きシュウは逃げ出したい気分だったが、浅葱は平然としている。首にかけた白い手拭で髪をがしがしと乱暴に拭いて、シュウの横に二羽寄り添ってくっついている鶏をひょいと抱き上げた。
「おーよしよし、もう大丈夫やで。とさかもほくろも無事でよかった」
 二羽は大人しく抱かれ、浅葱の手に撫でまわされても鳴き声一つ上げない。まるでぬいぐるみになってしまったみたいだった。シュウがぽかんと口を開けて眺めていると、浅葱はニッと笑いシュウの隣に腰を下ろす。
「こいつらもちゃんと名前があんねん。こっちはメスのくせにとさかが立派やから、『とさか』。こっちは目元にほくろみたいな点がついてるから、『ほくろ』。可愛いやろ」
 シュウは反応に困った。白いやわらかそうな羽毛がぷるぷる震えている様はどちらかと言えば可愛いような気がしなくもないが、ふてぶてしい目でじっとこちらを見られると、小さなくちばしでつつかれそうな気がする。助けを求めて、思わず牡丹の方を振り向いてしまった。シュウと目が合った牡丹は頭痛をこらえるように目を閉じてため息をつく。
「もう、冷たいなあ。怖い思いをした分いっぱい可愛がってやらんと、長生きせんで? 動物には愛情をたっぷりかけて育てるもんやで」
「浅葱。いい加減になさい」
「はいはい。杖の話やったっけ?」
 シュウがこくりと頷くと、浅葱は持ってきた布の包みを彼の前に押し出した。大きな一枚の布の端と端を結んで中のものを包んでいる。これが風呂敷包みというやつか、とシュウは珍しそうに見つめた。
「シュウくんの言う杖っていうのは、ハインリッヒ国の魔術師が魔法を使うときに必要な武器の一種や。素質を持った者だけが精霊と契約を交わして魔法を使えるんやけど、杖がないと魔法は使えない。……やんね?」
「うん」
「ハインリッヒでは魔術師と剣士の役割がはっきり分かれとって、魔術師は前衛で剣をとる必要はないし剣士が後衛で仲間を援護することもない。けど御鷺……いや、この里では全員が精霊と契約を交わしてんねん。剣も槍も扱えるし、魔法みたいな技も仕える。やで、剣の技も魔法みたいな技も全部合わせて『術』って呼ぶんよ。わかった?」
 浅葱はすらすらと説明し、真剣に聞いていたシュウと牡丹の顔を交互に見る。シュウは自信なさげにうなずいた。
「なるほど、つまり彼は隣国の魔術師であり、杖とは彼の武器だということですね」
「そうやね」
「それならば代わりになるものはお貸しできません。そもそも里にはないでしょうし、今のところあなたは客人ですらないのですから。頭領にお目通りして、逗留を認めていただいてからですね」
「と、りゅう?」
「しばらくここに住んでていいよ、って頭領に許してもらわなあかんってこと。じゃあさっそく頭領のとこに行くから、シュウくんはこれに着替えて」
「へ?」
 浅葱が風呂敷包みを指さす。意味ありげに笑っている彼の顔と風呂敷とを見比べて、促されるままに風呂敷を解く。中に入っていたものを広げた瞬間、シュウの目がまん丸くなった。それは士官学校の制服だったのだ。あちこち破れたのを縫い直したあとがある。
「シュウくんが見つかったときに着てた服や。体中傷だらけやったから、服もかなり汚れとったんやけど、結構きれいになってるやろ?」
「うん……ありがとう」
 上着も下に来ていた肌着までも全て揃っていた。しばらくぶりに手にするはずの制服だが、あの夢のせいであまり久しぶりという感覚はない。むしろまたあの夢を思い出してしまい心が暗くなった。
 ミサギ国に来たときに制服を着ていたということは、現実でもディックと共に試験を受けに行ったのだろう。その後に何が起こったら一人で山を越えられるのかはさっぱり分からないが。
「私は先に行っています」
 いつの間にか立ち上がっていた牡丹がそう言うと、シュウが振り向くより早く障子が閉められてしまった。足音も気配もないが、恐らくもう行ってしまったのだろう。
「ほら、帯ほどくからあっち向いて」
 浅葱がてきぱきと着物を脱がせていくのに任せながら、シュウは自分が着替えるから牡丹が出て行ったのだと今更に気付いた。あの牡丹でも、異性の裸を見るのは恥ずかしいのだろうか。いや、恥ずかしくなくても普通は着替えなんて別々にするべきものだけれども。だいたい、無表情で裸を見られたら、恥ずかしいのはこっちの方だ、とシュウは一人赤面した。


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