長柄の槍を振り回し、馬に取りすがろうとしている敵兵を突き倒す。軽装の鎧などはあっけなく貫通し、心臓を破る感触を右手に感じながら左手で手綱を引き馬を走らせる。横からやってくる敵は気にしないことにして、行く手を遮る敵のみを蹴散らしていった。この馬は強い、まだまだ走れる。だが今日は疲れさせるわけにはいかないのだ。今日はいつもと違う。合図があればその時は全速力でこの場を離れなくてはならない。
 まだか。俺は心の中でそう叫びながらまた一人敵兵を串刺しにする。騎兵を恐れて逃げ腰になるような者は適当にあしらえるが、走ってくる馬に正面から向き合う度胸のある者は相手をすることになり面倒だ。とにかく、馬を失くすわけにはいかないのだ。少し疲れてきた。まだか? 一体どれだけ長い間待たせるのか。軍議では午後になってすぐ作戦を開始すると決まったはずだ。そろそろ日が暮れてしまう。
 待ち望んでいた発泡音が背後で鳴り響いた。一瞬だけ味方の陣営の方を仰ぎ見る。ここから例の兵器は見えないが、青い空の中わずかに白い煙が見えた。合図だ。
「歩兵、下がれ! 騎兵は残り歩兵を逃がせっ」
 大声を張り上げる。当然ながら、率いる部隊の兵隊全てが馬にのっているわけではない。一斉に退却すれば歩兵には甚大な被害が出るだろう。
 近くにいた騎兵の部下が二人、命令を伝達するためばらばらに走り去って行った。混戦の中歩兵が退却していく。敵が勢いづき向かってくる。俺は腹の底から叫び、自分を奮い立たせた。嬉々として歩兵を追い回している敵の中へ突っ込んでいく。そのとき、鎧に自軍の紋章をつけた少年が前方から馬のすぐそばを走り抜けていった。
(レッフェ)
 一瞬だけ意識が逸れる。左肩に軽い衝撃を感じ、慌てて手綱を握り直した。鎧に矢が刺さっているが痛みはなく負傷はしていない。手綱を引き、馬を走らせ敵の弓兵部隊を蹴散らす。
 遠くで、もう一度破裂音がする。もう空を見なくても分かった、二回目の合図だ。もう逃げないと間に合わない。
「全軍退却!!」
 言うや否や馬に鞭を入れ、目立つように大きくぐるりと半円を描いてターンする。騎兵部隊には途中で退却することを予め教えてある。兵器については触れなかったがどうせ噂で聞いて分かっているだろう。すぐに皆退却してくるはずだ。でないと巻き添えを食って命を落としかねないのだから。全力で陣営まで駆けなければならない。兵器の射程範囲など知らないし、たとえ知っていたとしても兵器が予想通りに動くとは限らないのだ。
 思い出した。軍議では確か、「陣営まで駆けろ」と言われたのではなかったのだ。合図があったら、「その場を離れるように」と言われた。その場というのはどこだ? まさか陣営は含まれないだろう。だが俺たちは陣営に戻るとはいえ、もちろん陣営の中に入るわけではない。ぎりぎりまで下がってできれば体制を整え、兵器によって討ち取られた敵の残党を迎えうつのだ。そのぎりぎりの場所、つまり陣営の少し前は射程範囲から本当に外れているのだろうか。ラデリーが前線に出るなと言っていた、そのことが気にかかる。
 もう敵か味方かもわからない屍を踏み越えて混戦の中を抜けたのと同時に、太陽が雲に入りふっと戦場に影が差す。だがそれは雲の影ではなかった。大地を覆った影はすぐに拡散し、戦場の上では影になった部分と光の当たる部分がまだらになって入り混じっている。いうなれば木漏れ日のような感じだがそのような美しいものではなく、もっと禍々しい感じだ。上空は真っ赤だった。赤い粉のようなものが空中に丸く広がって、下から見ているとまるで大きな布がかぶさってくるかのようだ。あれに触れたらきっとまずいのだろう。俺はそれを吸い込まないように片手で口を押さえながら陣営の方を目指した。
 先に戻って陣を組んでいた部下たちの中に飛び込んだ時には、鎧にも馬にも赤い粉がうっすらと積もっていた。俺は即座に馬から飛び降り、嫌がる馬を押さえながら粉をはたき落してやる。これがどのように毒になるのかは分からないが、触れていないに越したことはないだろう。
「粉を吸い込むな! 負傷者を運び、待機!」
 指示を出して戦場の方に目をやる。他の部隊も半分以上は陣営の方へ戻ってきていた。敵軍はあまり深く攻め込むのも危険だと判断したのか退却の遅れた部隊を大勢で取り囲んでいる。助かった。俺は腹の底に溜めていた重い空気を吐き出す。向こうがなりふり構わず攻めてきていたら、どうなっていたか分からない。退却した部隊もまだ全てが体勢を立て直しているわけではないのだ。
「失敗か?」
 どこからともなくそういう声が上がった。戦場を見つめる兵士たちの胸に次々と不安が伝染していく。血ではないもので赤く染まった戦場は、しかし何も変わったことは起こらなかったのだ。俺は黙って馬に跨る。兵器が失敗したのならまた戦わなければならない。結局、生き残るためには自分の手足を頼りとするしかないのだ。ざわざわ騒がしくなってきた部下を叱咤しようと息を吸い込む。だが言葉を発する直前視界に深い緑色の何かが映りつい口をつぐんでしまう。
 跨っている馬のたてがみから、丸くて大きな深い緑の葉が生えていたのだ。俺はあっけにとられて瞬きを繰り返す。だが消えない、見間違えではない。呆けている間に葉がどんどん増えていった。馬はくすぐったいのか首を振る。俺ははっとして、その不可解な草をむしり取った。取っても取っても生えてくるように見えたが、2,3度むしってたてがみをはたいてやると葉は出てこなくなった。その代わりに、はたき落した葉が地面で増殖を続け、みるみるうちに地表を覆っていく。俺は呆然とそれを眺めて、自分の鎧の隙間からも同じ葉が出ているのに気付き顔をしかめる。一体何なんだこれは? 周りの者も皆同じ思いだっただろう。見回してみれば辺りは一面深緑の葉で埋まっている。葉が増えているというか、細いツルが伸び続けそこから葉が次々生えてくるというべきか。絡め取られてしまった者を助け出そうと躍起になっているのも何人か見える。おそらくこの分では馬の脚も動かないだろう。俺は馬から降りることもできず戦場の方へ目をやった。そして更に唖然とする。
 戦場はジャングルになっていた。敵兵のほとんどはツルに絡まって動けずにいるようで、怒号のようなものがこちらまで届く。なんとかツルから逃れた者は剣や槍でツルを切ろうとしているが、そうとう固いようだ。うまくいかないらしい。
「……まさか」
 そのとき、ある考えが俺の頭をよぎった。非現実的なその考えはすぐに否定したのだが、そんな俺を笑うように今度は視界の中で深紅のものがはじけた。
 それは花だった。深緑色の海の中に、次々と血のように赤い花が開いていったのだ。まるで魔法のようだ。俺たちは敵味方関係なくそれをただ見つめた。花は見られていることなど気にも留めずその数を増やしていき、さほど時間もかけずに戦場を埋め尽くしてしまう。緑と赤のコントラストに頭がくらくらした。誰も、何も言わない。だが静まり返ったはずの戦場はとても賑やかに見えた。花が笑いあう、その声が聞こえてくるような気がしたのだ。ふと見れば俺の鎧から生えてきていたツルにも一輪の花が咲いていた。
 間近で見て、確信する。これはラデリーの好きだった花だ。甘ったるいにおいが花からただよい鼻孔をくすぐる。俺は嫌いだった。この匂いが嫌いだった。安物の香水をつけすぎたみたいな匂いがする。手を伸ばして、鎧の隙間で肩に巻きついているツルを引きはがそうとしてみるが、植物とは思えないほど固く、無理だった。せめて花だけでも千切れないかと思い手をかけてみれば意外にあっさりとツルから離れる。それに拍子抜けした、そのときだった。
 異常な興奮により上ずった、どこか常軌を逸した声が響いた。
「おい、みんな、何をやっているんだ? これはチャンスだぞ!?」
 沈黙していた兵士たちの間に少しずつざわめきが広がっていく。その中で歓喜の表情を見せているあの兵士はどこの部隊だ? 退却から慌てて陣を組み直したので、それぞれの部隊がどこでどのように展開しているのかよく分からないのだ。しかし、見てみれば男のいる場所は遠く、表情などとても分からなかった。それでも分かったと思ってしまうほど、声に歓喜がにじみ出ていたのだ。
「分からないのか!? 敵の足を止めたんだぞ、――殺せ!!」
 一瞬、ざわめきが静まり返った。俺の脳裏に、子供の頃のラデリーの顔が浮かんで消える。そして次の瞬間兵士たちは武器を振り上げ、歓声を上げた。馬が動かない者は飛び降りて、武器を失ったものは負傷したものから奪い取り、つい先ほど逃げるために必死で蹴った土の上を走っていく。
「我らも、向かいましょう!」
 思った通り足が縛り付けられてしまった馬の上から飛び降りると、すぐ近くにいた部下がつばを飛ばしてきた。俺はため息を押し殺して馬の足下にかがみこみ、ナイフを鞘から抜いて固いツルを切りつける。
「もう指揮は必要ないだろう。血が騒ぐ者は自由に行ってよし」
「はい!」
 複数人から喜色を隠しきれない返事があがった。武器を握りしめて兵士たちが走り出す。ツルを切り続けながら顔を上げてみると、その場に残っているのはほとんどが怪我人と彼らの手当をしている者、それに足止めされて放置された馬たちだった。近くに呆然と立ち尽くしていた兵士が一人、我に返ってこちらへ走り寄ってくる。彼は自分の剣を腰から抜き馬の足のツルを切るのを手伝い始めた。兵士の顔には見覚えがあった。おそらく俺の部下だ。俺と同じくらいの年だったはずだが、疲れ果てた表情のせいで十も二十も年上に見える。
「行かれないのですか」
「君もな」
 おずおずと発された問いに直球で返すと、彼は何ともいえない複雑な顔で口をつぐんだ。俺は何がおかしいのか分からないまま口元に笑みを浮かべる。
「恥ずかしながら、傷が疼いてもうあそこへ突撃していく元気がない」
「・・・私も、です」
 兵士はツルを見つめながら頷いた。そういう彼の体にも目立ってひどい怪我は見当たらない。俺はそうか、とうなずいてやっと一箇所が切れたツルを馬の足からはずしてやった。


† † †


 戦争は終わらなかった。
 戦場に現れたジャングルは、なぜか何度火をつけても燃えることがなく、両軍の進行を阻んでいた。だがそれだけのことで争いがおさまることもなく、軍の上層部は別ルートの開拓と少数部隊での攪乱を命じたのだ。敵軍の方も同じようなことを考えているらしく、たまに営舎の近くを奇襲されることもあるので気が抜けない。
 結局、兵器の謎の変貌はラデリーの仕業だったのかどうか、俺にはわからない。開発チームは軍の上層部からかなり厳しい叱責を受けたという。幸いながらこちらの勝利に終わったので誰も処分はされていない。ラデリーの脱走も、彼女を知らない人間には知らされず終わった。長い時を経てようやく劣勢から抜け出せた今、脱走したくなる者は少ないだろうし、それを知らせて士気が下がるのは困るということだろう。俺のところにも彼女の行き先に心当たりがないか聞き込みにはきたが、全くないと答えたらすぐに帰っていった。もし俺がかくまっていたらどうするつもりなんだと呆れるほどあっさりしたものだった。
 彼女がどこへ逃げていったのか俺にはわからない。わからないのだが、彼女は逃げる前に一度俺の部屋に戻ってきていた。枕の下に紙切れがはさんであったのだ。震えた小さな文字の描かれたその紙は、例の日の前夜には確かになかった。それは彼女がどうしても言わずにはいれなかった最後の叫びであった。



「こんなはずじゃなかった」


Fin.


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