02 図書館にて



「ラン、起きろよ。起きろって」
 肩を叩かれて目を覚ます。顔を上げると友人の顔が笑っていた。どうやら、いつの間にか机に突っ伏して眠ってしまっていたらしい。伸びをし、肩を回して、がちがちに凝り固まった体をほぐす。図書館のものとしては、机も椅子も充分上等のものなのだが、それでも快適に眠れるほどの柔らかさは備えていない。
 この図書館は、もともとは何かの工場だったという話だ。近年の急速な技術発展に追い付けずに潰れてしまい、どこかの金持ちに買い取られたのだという。殺風景な工場から、人々に娯楽を提供する図書館として生まれ変わったのだ。だが、一見綺麗に飾られているようで、隠しきれない粗さがところどころに窺える。ふかふかの絨毯が敷かれた床は、たまに傾いでいたり妙にデコボコしているところがある。繊細なレースのついた絹のカーテンの向こうにある窓は装飾もなく、きちんと磨かれていないのか霞がかかったようにくすんでいる。さすがに割れたガラスは取り替えられているが、ガタつく貧相な窓枠はそのままだ。風の強い日にはうるさいことこの上ない。そして天井に至っては、無骨な骨組みが丸出しになったままだ。図書館は読書をするための場所だから、誰も天井など見上げないということだろうか。だがしかし、その骨組みからは小じんまりとしたシャンデリアが申し訳なさそうにぶら下がっているのだ。ここを買い取った金持ちはいったいどういう趣味をしているのか。
 そんな中途半端な場所なので、利用者はあまり多くない。一人で静かに勉強をするにはいい場所なのだった。
「勉強熱心だな」
「まあな」
 友人は向かい側に腰を下ろした。俺は枕代わりにしていた専門書に目を落とす。幸い、涎を垂らしてはいなかった。腕の下敷きになって紙にしわが寄ってしまったが、仕方ないだろう。しわを掌でこすって伸ばしていると、友人は持っていた新聞をがさがさと俺の目の前に広げ始めた。
「なんだよ」
「勉強しないなら見てくれよ、大ニュースだぜ」
 そう言って友人が示したのは、一面に大きく書かれた「連続殺人事件 第四の犠牲者!」という見出しだった。思わず眉をひそめる。
 ここ二週間ほど、殺人事件が相次いでいる。新聞の見出しの通り、もう四件目にもなる。現場は多くの人が集まる市場をちょっと外れた路地、馬車が行き交う大通りを一歩外れた裏道など。人通りの少ない場所ではあるが、誰もが立ち寄る可能性のある場所である。それだけに世間はいまその話題でもちきりだった。犯人はどこのどいつだ、動機は何なのかしら、うちの娘が狙われたらどうしよう、自警団は何をしているんだ、などなど。最近では夕方ごろになるとみんな家の中に閉じこもってしまい、街の中は閑散としている。図書館もいつも以上に人が少なくなっていて、俺はそれをいいことにここに入り浸っていたのだ。
「物騒だな、まったく」
「いや、俺が言いたいのはそんな事じゃないんだ。大発見なんだ」
 新聞から友人の顔に視線を移すと、彼のグリーンの瞳がキラキラ輝いていた。彼の名はジャン・ヴァンサンといい、自警団を取り仕切っているジョゼフ・ヴァンサンの息子である。ジョゼフは厳格かつ公正な人柄で知られている。そう言えば外聞はいいが、息子の友達という立場から見ると、ただの頑固オヤジだ。その父親と比べると、息子のジャンは明るく社交的で、性格の面ではあまり似ていない。一番似ているのは長身であるところと、薄いブラウンのもじゃもじゃした髪だろうか。
 ジャンは自警団のリーダーである父親に憧れているらしく、こういう事件なんかにはいつも過敏に反応した。俺がオールダムを守る、とか言って一人で延々と街を歩き回って、行方不明の少女を捜してみたり、空き巣と追いかけっこをしてみたりしている。不本意ながら俺もそれに何度か付き合わされていた。今回もそのパターンだろう。俺は長年の経験から、ジャンに好きにしゃべらせておくことにした。
「この連続殺人犯、捕まえる手立てがないもんで自警団はすっかり参っちまってる。裂ける限りの人員を出して街中を見回ってるのに、怪しい奴がどこにもいない。被害者の方から探っていくにも、四人の被害者は赤の他人同士。共通点は12歳から17歳までの少女ってぐらいだ。住んでいる場所もばらばらだし、裕福な家の子もいれば孤児院の子もいる」
 孤児院、という単語を聞いて眉間にしわが寄るのが分かった。ジャンがそれを見てきょとんとした顔をする。だが喋りたい気持ちの方が勝ったらしく、また続けた。
「金品を奪ったり、身代金を目的に誘拐するための犯行という感じでもない。可哀想なことに、被害者の遺体はどれも結構ひどい状態らしい。強盗するなら、殺したあとすぐに持ち物を漁って逃げるだろう。それが財布にすら手をつけていない。人に見つかる可能性だってあるのに、わざわざ遺体を切り刻んでいる。金が目当てじゃないなら、なんらかの恨みを持った人物が犯人だということになるよな。親父たちは今、そっちの線で犯人捜しをしてるところだ。でもな」
 ジャンは唐突に言葉を切り、にやりと笑って俺の顔を覗き込む。俺は気が進まないままに続きを口にする。
「……被害者に共通点がなにもないなら、殺人の動機が怨恨っていうのは考えにくいな」
「そう! その通り! さっすが俺の相棒!」
 ジャンが嬉しそうに右手を上げるので、仕方なく左手を上げてやった。ぱちん、と静かな図書館にハイタッチの音が響きわたる。
「それでだな、俺はこの事件、親父にゃ任せておけないってことで調べてみたんだ。まあ調べたって言っても、親父が寝てる間にこっそり自警団の資料を覗き見しただけなんだけどな。それで分かったことが一つ。さっきランは『被害者に共通点がない』って言ったよな。実は違うんだ。一つだけ共通点がある」
「ほう」
「被害者は全員、金髪なんだよ。腰まで届くほど長く、癖のない綺麗な髪だそうだ。犯人は被害者の遺体から、髪をばっさり切り取って持ち去るらしい」
 どくん、と心臓が跳ねた。脳裏に一人の少女の姿が浮かぶ。確か、彼女の年齢は15歳だ。以前に会ったのはどれぐらい前のことだっただろうか。少なくとも、この連続殺人事件が起こるより前だっただろう。だが、いや、そんなまさか。
「そこで俺は考えたわけだ。金髪のカツラをつけて女物の服を着て、夜の街を歩けばもしかしたら犯人が襲ってくるんじゃないか、ってな! この騒ぎで出歩いてる人も少ないし、犯人は獲物がなかなか見つからなくて焦ってるはず。俺とランなら……まあどっちが女装しても似たようなもんか。どっちかが女装して囮になり、犯人が襲ってきたらすかさず二人で捕まえる! これがうまくいけば俺たちは…………ラン? どうした」
「え」
 喜色満面だったジャンがふと真面目な顔になった。
「やけに険しい顔してるけど。いいぜ別に、そんなに女装が嫌なら俺がやるし。お前は見つからないようについてきてくれたら」
「いや、そうじゃない。悪いが、ちょっと急用ができた」
「急用?」
 立ち上がると、ジャンが不満そうに俺の手を引く。
「なんだよ、付き合い悪いなあ。うまく捕まえられたら街のヒーローだぜ? 頑張るしかないじゃんよ」
「付き合わないとは言ってないだろ」
 広げていた本をぱたぱたと閉じながら、ジャンの手を軽く振り払う。できれば危ないことに首を突っ込みたくはないが、この友人を一人で突っ込ませる方が不安だ。
「ちゃんと協力するから、先に用事を片付けさせてくれ」
「お、本当だな? じゃあ俺も一旦家に帰って準備してくるわ。用事ってどれぐらいかかるんだ」
「そんなに時間はいらない。終わったらすぐに家まで行くから、俺が行くまで待ってろよ。女装して一人で出歩いたりするなよ? いいな、絶対だぞ」
「わーかってるって! んじゃ、できるだけ早く来てくれよな!」
 ジャンは呑気に笑ってひらひらと手を振る。俺は持参した本を小脇に抱えて、図書館の出口へと駆け出した。




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