02 女王の城 --4



「見ての通り、マリオネットだ。ここは保管庫なんだよ」
「こんなに……」
 細長い部屋を埋めつくす数え切れないほどのマリオネットは、天井や棚の中に吊り下げられてかすかに揺れている。見たことのない人形がほとんどだが、ランのすぐ横にある女の子の人形や少し奥の方の天井からぶら下がっている兵士のような格好の人形などはなんとなく見覚えがあった。私はあまりにも大量のマリオネットにただ驚いてぼうっとしていたけれど、踊ることもできずに暗いところに押し込められている彼らを見ているうちにふつふつと怒りが湧いてきた。
「マスター以外の人からも奪っているんですね!? どうしてこんなことするんですか!」
「バカ、静かにしろっ」
 思わず声を荒げると、ランさんは慌てた様子で立てた人差し指を口元にあてる。黙ってやるものかと思い私は再び口を開いた。だが声を発する直前、あることに気付きぴたりと全身の動きが止まる。かなりの数のマリオネットが、感情のこもらないガラスの瞳で私を見下ろしていた。
 マリオネットは操り糸で動かしてもらわないと、自分からはほんの少しだって動くことはできない。ランさんは何もしていないし、この部屋にはランさんと私しかいない。ではどうして、さっきまでばらばらの方向を向いていたマリオネットが私の方を向いているのだろうか。
「不気味だって言ったろ」
「……」
 小声でそう言って方をすくめるランさんを、私は固まったまま上目遣いで見上げる。本当は不気味なんて表現はマリオネットに失礼だと言いたかったけれど、現在進行形で視線をひしひしと感じているので声を出すことさえためらわれた。しばらくランさんと二人でただ黙って立ち尽くしていると、そのうちに一体また一体とマリオネットが私から視線を外していった。
 窓がない部屋でドアも閉まっているため、風で動いているとは考えにくい。なのに、視界のマリオネットはひとりでに回転する操り糸と持ち手の木切れにつられてくるりと向こうを向いていく。視線を感じなくなると、やっと声を出すことができた。
「はああ……」
 また注目されてはかなわないと思うと、ため息さえも自然と控えめになる。こわごわ辺りを見回してみても特に変わったところは見つからない。どれも普通のマリオネットに見える。
「なんなんですか、今のは」
「あんたはここにいない方がいいのかもしれない」
「え? きゃっ」
 ランさんはそう呟くと、私の左腕をいきなり掴んで足早に歩き始めた。驚いて軽く声を上げてしまい、私はすぐに左手で口を押さえる。だがマリオネットはもう反応しなかった。


 通路のような部屋の奥にあった扉を開けると、そこはさっき私が走って逃げていた廊下と同じような造りになっていた。ただこちらの廊下は少し薄暗い。照明器具はランさんが持っているのと同じような小さなランプがぽつぽつと間隔を空けて置いてあるだけだ。ランさんは私の手を引いて少しゆっくり歩きながら話し始めた。
「あんたのマスターは、人間をマリオネットに変えることができる」
「……は?」
「あそこにいるのは全部、奴が少しでも触れた可能性のあるマリオネットだ。もちろん人間じゃない本当のマリオネットも混ざっているだろうが、見分けが付かないからな」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
 足をふんばってランさんの腕をぐっと掴み引っ張ると、彼はやっと足を止めた。
「人間をマリオネットに変える、ってどういうことですか? そんなことができるんですか?」
「いや、何言ってんだよ。あんた自身そうだろうが」
 私は真剣に聞いているのに、ランさんは笑うべきか呆れるべきか迷うように微妙な表情で肩をすくめる。
「私は違います! 私はマリオネットなのに、どうしてか人間になってしまったんです」
「あんたはもともと人間で、マリオネットに変えられて、そんで今やっと人間に戻れたんだよ。覚えてないかもしれないけど、これが本当のことだ」
「そんな、そんなわけ……」
「生まれたての赤ん坊は言葉を話すことができない。自分の足で立って歩くこともできない。あんたが初めて人間の体になったのなら、あんたはどうして話してるんだ? 歩いているんだ?」
「……」
 言葉に詰まる私を責めるようにランさんは次々と疑問を投げつけてくる。言い返すことのできない自分が悔しい。仮にマスターがそういう力を持っていたとしても、それを使って悪事を働くような人じゃないのに。それに、マスターは旅をしている間もいろいろな人に頼まれて壊れたマリオネットの修理をしていた。マスターの触れたマリオネットの中に人間だったものがいてもそれはきっと偶然だ。
「国中から集めたマリオネットはあの部屋の中に置かれて、人間に戻るのを待つんだ。あの動いたやつらはあんたが人間に戻れたのが羨ましいんだろうな。だからあんたに注目したんだ」
「……戻った人は、いるのですか?」
「いる。何人もな」
 ランさんの目は真剣で、嘘をついているようには見えない。私は今度こそ返す言葉を失ってしまった。
「なあ、頼むからおとなしくしててくれよ。あんたを危険な目に遭わすわけにはいけないんだ」
「……でも、私は」
「あんたは覚えてなくても、あんたには家族がいるんだよ。この世界のどこかで今もあんたの帰りを待っているんだ。せっかくあのジジイから引き離せたっていうのに、あんたにもしものことがあったら俺はあんたの家族に合わせる顔がない」

 私の、家族? 家族って、お父さんとかお母さんとかお兄さんとか?
 そう……人間だったら、お母さんのおなかの中から生まれてくるのだったわ。今この体の中には血が流れている。ならばこの血を分けてくれた人がいるはず。

 つまり私は人間だったの?


 ランさんは黙りこくった私を見て、行くぞと一言言って私の手を引いた。私の足はほぼ無意識に動く。頭の中ではランさんの言葉が浮かんでは消えていく。今まで泣きたくなるたびに思い浮かんでいたマスターの優しい笑顔が少しかすんだ。
 それが怖くて、悲しくて、私は思わずランさんの手を強く握り返す。今の私にはそれしか握り締めるものがなかった。ランさんが歩きながら私の方を振り返ったのが分かったけれど私はうつむいたまま気付かない振りをした。

 さっきまでも、今も、ランさんが怖い。さっきまでは酷いことをされそうで、痛い思いをさせられそうで怖かった。今は、優しくされればされるほど、私の頭の中からマスターが消えていきそうで怖い。
 どうか優しくしないで。もっと怒って。私を怒鳴って。少しなら叩いたっていいわ。
 お願いです、私を怖がらせて。




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