第3章:咲いた白い花 --6



「その恰好は何だ」
 ぴしゃりと打ち付けるような、いかめしい声がシュウの耳を打った。
 広い座敷の中には五、六人の人影があった。向かって左手に並んで座っており、真っ直ぐにシュウたちを睨んでいる。彼らは全員が老人であり、その顔には深いしわが刻まれていた。故にどういう表情をしているのかいまいち判断できない。シュウが睨まれている、と思ったのは、彼らの目線が明らかにこちらに向いていることと、歓迎されているとはとても言えない雰囲気のためだ。シュウは心の中で、やっぱり怒られたじゃないかと呟いた。だいたい、一番偉い人に会いに行くと言っているのに、子供みたいにおんぶされた状態はまずいと思ったのだ。どう考えても失礼にあたるだろう。体の調子が悪くとも、頑張って自分の足で歩くべきだったのだ。今の体調で本当にそれが可能なのかと言われれば、答えに詰まってしまうところだが。
「申し訳ありません。まだ体調が万全でなく、歩かせることができないのです」
 浅葱が真面目な口調でそう言って軽く頭を下げた。その傍らで松葉も頭を下げる。
「頭領がお待ちだ、早くしろ」
 老人のうちの一人が低い声でそう言った。浅葱はすたすたと座敷の中に入っていき、老人たちの前でシュウの体を下ろした。そして何も言わずにまた入口の方へ戻ってしまう。彼が松葉と仲良く並んで正座をするのを見て、シュウも慌てて正座で座りなおした。老人たちの厳しい視線を受け止めることができずに、膝の上で握りしめた自分の拳を見つめる。その状態で固まった彼は、老人たちからの言葉に文字通り飛び上がった。
「前を向きなさい」
「はっ、はい」
 だったら睨まないでください、と心の中で叫びながらシュウはおそるおそる目を上げた。目の前にいる老人たちの機嫌がより一層悪くなっているような気がして、落ち着かなげに視線をきょろきょろと彷徨わせる。そんなシュウに浅葱が助け舟を出した。
「シュウくん」
 振り向くと、浅葱は少し笑っていた。片手で部屋の奥の方を指し示している。
「前は、あっち」
「え」
 浅葱が指した方向は、シュウから見て右手だった。シュウはそちらに向き直ってすぐ、部屋の三分の一ほどが一段高く作られていることに気付く。上座は老人たちの座っている場所ではないのだ。ということは、頭領はこの老人たちよりも偉い人だということになる。シュウはがちがちに緊張して頭領の登場を待つこととなった。
 ほどなくして、右手の襖が静かに開いた。最初に入ってきたのは年若い女性だ。艶のある黒髪を肩のところで切りそろえている。綺麗な人だ、とシュウは思った。鼻梁の線はすっきりとしていて、形のいい唇はやわらかく結ばれている。黒い着物には見事な赤い花の模様が描かれていた。
 次に入ってきたのは長身の、がたいのいい男性だった。こちらも若い。浅葱よりは年上だろうか。淡い緑色の髪は長く、一つにまとめて結わえている。鋭い瞳は髪と同じ色をしていた。腰に差した刀の鞘を左手で押さえている。彼は頭領の護衛だろうか。
 次はいよいよ頭領の登場か、とシュウが身構える。だが、護衛の男性は自分が部屋の中へ入ると襖を閉めてしまった。きょとんとするシュウの正面に黒い着物の女性が座る。彼女は状況の分かっていないシュウに向かって、にこりと優しい笑みを浮かべて見せた。
「はじめまして。私がこの里の頭領です」
 シュウはぽかんと女性を見つめた。近くで見るとますます美しい人だ。闇を溶かしたような黒髪に、磨き上げた宝石のような輝きをもつ赤銅色の瞳。着物の模様の花はとても綺麗なのに、女性の美しさにかすんでしまっている。
「シュウくん……」
 後ろから浅葱が声をかける、その声には焦りが混じっていた。シュウが振り向くと、彼は少しだけ引きつった顔で何かを言いよどむ。隣の松葉も同じ表情だった。どうしたの、と言いかけてシュウは気付く。老人たち、そして護衛の男性がすごい顔でシュウを睨んでいる。シュウは慌てて女性の方へ向き直った。
「は、はじめまして」
 頭領は女性だったのだ。シュウは自分の膝に視線を落とし、頭の中を整理する。てっきり怖い男の人が出てくるとばかり思っていたが、この女性は怖い人ではなさそうだ。どちらかというと、頭領であるこの女性よりも周りにいる老人たちの方が怖いような気がする。とにかく、きちんと自己紹介をしなければならない。鋭い視線にさらされているのを感じながら、シュウは必死に故郷で勉強したミサギ語での自己紹介を思い出した。
「ええっと、お会いできて嬉しい、です。僕の名前は、シュウ=カトライゼ、といいます」
 なぜかその時、老人たちが少し狼狽を見せたような気がした。何もおかしなことは言っていないはずだが、と思いつつシュウは言葉を続ける。その後ろで、浅葱が「やばい」という顔をしたことには当然気付けなかった。
「あなたのお名前は、なんですか?」
「貴様!」
 部屋の中にはっきりと動揺が走る。護衛の男性が刀に手をかけ腰を浮かした。老人たちもざわめき、明らかに怒気を向けてきている。シュウはあたふたと辺りを見回した。何かまずいことを言ってしまったようだが、何がいけなかったのかさっぱり分からない。頭領は目を丸くして驚いているだけで何も言ってくれなかった。
「え、あの……」
「頭領を愚弄するつもりか!」
 護衛の男性は今にも刀を抜こうとしている。シュウの顔から血の気が引いた。
「待って、落ち着けって! そういう意味じゃない!」
 男性とシュウの間に浅葱が割り込んだ。浅葱は男性の手を押さえて刀を抜かせまいとするが、力任せに振り払われてしまう。
「他にどういう意味があるというんだ、ふざけるな!」
「だから、落ち着けって言うとるやん……」
 男性は完全に激昂していた。浅葱は仕方なく、といった様子で腰の刀に手を伸ばす。
「止めよ」
 ぴしゃりと老人の声が響いた。声を発したのは老人たちのうち最も頭領に近い位置に腰を下ろしている者だ。大きな声を出したというわけではないにも関わらず、部屋中の者が彼に注目する。
「柳、浅葱、ここをどなたの御前だと思っている?」
「……申し訳ありません」
 老人の言葉で、二人の手が刀から離れた。当然ながら男性はまだ納得していない様子で、頭領と老人に軽く頭を下げたのち元の場所よりもシュウに近いところで腰を下ろす。警戒されているのだろうか。別に悪いことをするつもりはないのに、とシュウは身を縮めた。浅葱はシュウの隣に座り、頭領に深々と頭を下げる。
「頭領、どうかご容赦願います。彼は自国の慣習に従って挨拶をしただけなのです」
「自国の慣習とは?」
 それまで無言だった頭領が浅葱に声をかけた。やはり彼女は怒っていないように見える。そう見えるだけなのかもしれないが。
「あちらの人は名を一つしか持ちません。名がそのまま通り名となります。そのため、初対面の相手には自分の名を伝え、相手の名を尋ねるのです。そこに他意はありません」
「……なるほど。そう言えば、そうでしたね」
 頭領がくすりと笑う。
「こちらが早とちりをしただけですか」
「いえ、申し訳ありません。私から事前に伝えておくべきでした」
 浅葱が頭を上げないのを見て、シュウはおずおずと尋ねた。謝るべきなのだろうが、なにを謝ればいいのか分からないのだ。
「あのう……僕、なにか変なこと、言ったんですか」


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