第一章:目覚めればそこは監獄 --6



 ミサギ国の家屋を実際に見るのは初めてだ。外装だけならばザーラにやってくる越境商人たちの宿舎があったが、内装については子供向けの絵本でしか見たことがない。草を綺麗に編み込んだ固い絨毯、畳というんだったか、それが敷かれている。柱は木製で壁は土を塗ってある。部屋と部屋を仕切るのは、木枠の中に紙を貼っただけのすぐ壊れそうな襖というもの。絵本で見たままの光景が目の前に広がった。畳の上に直接敷いた寝具の中に寝かされ、シュウは手を伸ばして畳に触れてみる。若草色のその表面は思ったよりすべすべした触り心地だ。下に敷いてあるので絨毯と言ったけれど、まったく違うものだった。
 そのあたりから眠気に襲われて、あまりよく覚えていない。夢うつつの状態でまずい薬を飲まされたところまではぼんやりと覚えているが、その後は深い眠りに落ちていってしまった。

 次に目を覚ましたときには、体がだいぶ軽くなっていた。びっしょりと汗をかいてはいるが、監獄の中で目を覚ましたときのような嫌な汗ではない。肘をがくがくさせながら上体を起こすと、かけられていた布団がずり落ちた。戸が開けはなってあり庭が見える。小さな畑の向こうはすぐ鬱蒼とした森になっていて、他の家が近くにありそうには思えない。
(人里離れた森の奥、ってやつだ)
 シュウはミサギ語の教科書に載っていた昔話の冒頭の文章を思い出した。鬼婆のような人喰いの化け物が出るのは大体そういう場所だ。暗い森の中でぽつんと建つ一軒家を見つけ、一夜の宿を請う。主人公は寝床に入るが寝付くことができず、水でももらおうかと廊下に出る。すると別の部屋に灯りが点いていて、そこを覗くと化け物が正体を現す。たとえば後頭部に大きな口があったり、ギラギラ光る目と鋭い牙を持っていたりするのだ。
「おはよー」
「うわああ!?」
 両肩にぽん、と手を乗せられてシュウはびくりと震える。久々に大きな声を上げたせいか、気管に唾が少し入ってしまいごほごほと咳込んだ。
「わ、ごめんごめん、ちょっと待っとって」
 浅葱が慌ただしく部屋を出ていき、湯呑みを一つ持って戻ってきた。手渡されたそれにはなみなみと水がつがれている。背中をさすられながら水を一気に飲み干し、シュウはふうと息をついた。
「ごめんなー、こんなに驚かれるとは思わんかったわ」
「あ、うん、その……鬼婆が」
「鬼婆? なに、夢でも見たん?」
「や、夢というか、あはは」
 浅葱がぽかんとした顔をしているので、シュウは曖昧に笑ってごまかした。彼の肩越しに見える庭には明るい日光が降り注いでいて、コッコッと鶏の鳴き声が聞こえる。平和な風景だ。鬼婆が出そうだなんて、そんなことを言っては失礼だろう。
「シュウくん三日も眠っとったで」
「三日」
「そ。さすがに疲れたんやろうな。気分はどう?」
「元気、です。あんまりつらくない」
「そっか。ちょっと待ってて、今お粥持ってくるわ」
 空になった湯呑みを持って、浅葱が部屋の外へ出ていった。部屋は途端に静まりかえり、人の気配がなくなる。この家の中にいる生き物は庭にいる鶏とシュウだけのように思える。浅葱の足音は不自然なほど聞こえてこなかった。シュウはオカユってなんだったっけ、とぼんやり考えて彼が戻るのを待った。
「おまたせ〜。おれが作ったんじゃないから安心してな。どうも料理は苦手なんよ」
 浅葱がお盆に入れて持ってきたのは、青い陶磁器の器と木でできた匙だった。器には米を水で柔らかく煮た料理が盛られている。シュウの国にも似たような料理があるが、ミサギ国では特に病気の人のためにこれを作ると習った覚えがある。
「ありがとう、ございます」
 誰だか分からないが、わざわざ自分のために作ってくれたのだと思うと素直に嬉しい。受け取った器の温かさが心にじわりと沁みた。
「おいしい」
「そか、よかった」
 匙で一口すくって食べて、シュウは思わず笑みを漏らす。やはり故郷の味とは違うがお粥はあたたかくておいしかった。胃袋が空の状態なのでほとんど液体に近いほどよく煮詰められているのもありがたい。シュウがちまちまと少しずつ食べていると、縁側から鶏に餌をやっている浅葱がこう言ってきた。
「あんまり一気に食べたらあかんで。胃がびっくりするやろ」
「あ、はい」
 彼の言う通りだ。シュウは器をお盆の上に戻し、浅葱に話を切り出す。
「あの、ザーラは、どうなったんですか」
 三日も経っているのなら何か分かったことがあるかもしれないと思った。ただ、山の向こうで何かが判明したとして、それが伝わってくるまでには早くても数日の時間が必要なはずだ。浅葱は笑みの消えた顔で振り返ってシュウの顔をしばらく見つめた。
「おれからは何も言えん。詳しい話も聞いてないし、それに……まあ、何が起こったんかはまだよく分からんしな。そのうちシュウくんには頭領に会ってもらわなあかんから、そんときに直接聞いてみ。頭領は優しいからちゃんと答えてくれるやろ」
「トウ、リョウ……ってなんですか?」
「頭領っていうのは、ここの里で一番えらい人のことや。気いつけなあかんで。怖い人やし、容赦ないし。頭領の命令に逆らえる人間はここにはおらんからな。でも逆に、頭領が認めてくれればシュウくんの安全は保証される。なんてったってザーラの生き証人やもん」
 生き証人と言われても、なにも証言できることはないのだけれど。シュウは頭領という人がどのような人か想像した。里で一番えらいというのは、一番強いということなのか、それとも一番年上だということなのか。どちらにしろ浅葱や松葉のような強い人をまとめているのだから、老人だったとしても若いころは腕っぷしの強い男だっただろう。シュウはいかつい男に詰め寄られ責め立てられる自分を想像して憂鬱になった。
「認めてもらうって、何をしたらいいんですか」
「ありのままのことを言うだけでええんよ。変に繕ったって見抜かれるし、こいつ嘘つきやなって思われてまうわ」
「そっか……」
 あまり難しく考えないことにして、シュウは体を横にする。それからしばらく浅葱と他愛ない話をした。庭に植えているのは野菜ばかりだが、ついつい世話をさぼってしまうのでそれほど立派なものは育たないのだとか。葉ものの野菜は鶏にかじられてしまうので囲いをするのが面倒だとか。一部だけ囲いをせずにおくと、それが鶏の餌になってしばらく家を空けても大丈夫だとか。のどかなところだなあ、と妙に寂しくなりながらシュウはいつしか眠りに落ちていた。


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