第一章:目覚めればそこは監獄 --5



 モンスターが飛び出してきた茂みがまたがさりと音を立て、同じモンスターが一匹走り出てきた。シュウが身を固くし浅葱がゆらりと振り返る。モンスターは何故か浅葱を見て一瞬怯んだように見えた。よく見れば左目から左耳にかけて大きな切り傷が走っている。浅葱は何を思ったか一歩退いた。モンスターが彼を追って一歩踏み出そうとする。次の瞬間、モンスターの背後から飛び出した小柄な影が、あっという間にその獣を串刺しにした。
「すまない、二匹逃した」
 そう言って死骸から突き刺した短槍を引き抜いたのは小柄な少年だった。まだ顔にも体つきにも幼さが残り、声変わりもしていないところを見るとシュウよりもかなり年下らしい。髪は深い緑色で、それほど長くはないそれを後ろできつく縛っている。髪よりも暗い緑の瞳は冷たい光を宿していた。
「お疲れさん。なんか凶暴化してんなあ」
「ああ、奴ら同族がやられたのを見ても逃げようとしない。初めてだ、こんなことは」
「急いだ方がよさそうやね」
 浅葱は血に塗れた刀を鞘に納め、シュウの体を助け起こした。
「ものが食べられそうには、ないわな」
 苦笑する浅葱を見上げて、シュウは青い顔で頷く。自分でも情けないとは思ったが、モンスターの無惨な死骸や血の臭いに精神力をごっそりと奪われてしまっていた。さっきも思ったことだが、前に同じような状況に遭ったような気がするのだ。いつどこでそんなことになったのか、思いだそうとするとひどく頭が痛む。モンスターを見たことは何度かあるし、襲われて怪我をした人、殺された人はもっと大勢見てきた。でもそれは違う。なにか違うのだ。
 再び浅葱の背中に負われて、森の中を疾走していく。道もなにもないが彼に迷っている様子はない。シュウは心配するのをやめることにした。浅葱もあの少年も身体能力がずば抜けているし、明らかに普通の人間ではない。少なくとも彼らと一緒にいる間は安全だろう。重たい頭を浅葱の肩にことん、と乗せる。
 木々の間でぼうぼうに伸び放題になっている草の背丈がだんだん高くなってきた。膝の高さほどだったものが腰に届くようになり、胸の高さにまで迫ってくるようになる。そしてその頃になると、浅葱はあまり地上を走ろうとせず木々の枝をひょいひょいと飛び移って移動するようになった。今までに見たことのない視点がおもしろく、うとうとしながら移り変わる景色を見ていた。国が変わっても、そこに生える植物はそれほど変わらないらしい。これがハインリッヒ王国の森だとしても違和感はあまりない。ただ少し、草が生えすぎのような気もするが。
「松葉」
 太めの枝に着地して、浅葱がぽつりと何かを呟いた。ぼんやりしていたシュウの意識が現実に戻ってくる。何て言ったの、と聞き返そうとしたとき、浅葱の隣に少年が音もなく着地する。
「ごめん、取って」
 浅葱がそう言うと、何故か少年が呆れ顔になった。だが彼は何も言わず、浅葱の胸元に手を差し入れる。取り出されたのは赤い宝石のようなものと、白い布にくるまれた丸いものだった。少年はそれを持って一っ飛びに地上に下り、胸の高さまである草の中に立った。浅葱はまず一段低いところの枝に飛び移り、そこから地上に下りる。少年の隣まで草の中をがさがさと音を立てながら歩いた。少年が自分の胸元に手を差し入れて、また宝石のようなものを取り出す。彼の宝石は緑色だった。少年は両手に緑、赤の宝石と白い布の包みを乗せ、それを空中に差し出すようにする。
「浅葱」
「松葉。長の命にて都より帰還いたしました」
 一瞬の間があって、彼らの目の前に黒服の男がどこからともなく現れた。シュウは突然のことに驚いてまじまじと彼を見つめる。男は顔の上半分を真っ黒な仮面で覆っており、頭のてっぺんからつま先までの身すべてを黒い服に包まれていた。わずかに見えるのは口元だけだ。
「それは?」
 男の手が指したのは、少年の手の上にある白い布の包みだった。少年が黙って包みを解くと青い宝石が現れる。シュウの心臓がどくんと脈を打った。あれは、牢屋の中で見たあの光る宝石だ。浅葱の胸元にしまわれたときのように、少年の手に触れられている感触が分かる。男が青い宝石に手を伸ばすのを見て、思わずシュウの全身に緊張が走った。
「あー……お手柔らかに頼みます。まだ結晶化したばかりで」
「そうか」
 浅葱の言葉に一つ頷いて、男の指先が宝石に触れる。コツ、と小さな音がしたのと同時に、シュウの全身を雷に打たれたような衝撃が襲った。痛みはない。ただ頭の中が真っ白になり、体から力が抜ける。目も耳も開いているのに、何も見えず何も聞こえない。
 それは今までに経験したことのない強い衝撃だったが、意外なことにあっさりと何の余韻も残さず五感が戻ってきた。手足の先がわずかにしびれているが、他にはどこも違和感を感じない。シュウはぱちぱちと瞬きをして怯えと不審の入り混じった視線を黒服の男に向けた。男はシュウの視線をまっすぐに受け止めた、ように見えた。顔が隠れているので実際にはどうなのか分からない。
「確認した。では」
 浅葱と少年が男に会釈をすると、男は現れたときと同じように当然その姿が見えなくなった。そして彼が消えたあとには、獣道とでも言うべきわずかに道らしいものができていた。少年が軽くため息をつき、緑の宝石は自分の懐へ、また白い布にくるんだ青い宝石と赤い宝石は浅葱の懐へと戻す。
「あんまり、お手柔らかじゃあなかったな。大丈夫か、シュウくん」
 苦笑混じりの浅葱に、シュウは小さな声でうん、と答える。正直なところ、ずっと背負われていて疲れているし、体調は全くよくはないのでちっとも大丈夫ではないのだが、そんなことが浅葱も承知のうちだろう。
「今の、は?」
「まあ、門番みたいなもんやね。あんまり誰でも入ってこられると困るから、あの怖い人が見張ってんの。入っても大丈夫な人かどうかを見破るんよ」
 すると、シュウが連れて行かれるのは、常人では容易に立ち入ることのできない場所なのだ。また牢屋に入れられるのかな、と考えて心が沈む。
「宝石で、見破る?」
「あー……うーん、松葉、説明して」
「僕に振るな」
 松葉、というのは少年の名前らしい。シュウが彼の方を見ると、彼は眉間に少ししわを寄せた。
「おまえも、あれこれと聞くんじゃない。ここは隠れ里なんだ、外の人間が知るべきでないことがたくさんある。下手なことを聞いてしまうと助かる命も助からないぞ」
 大体の意味は理解できたが、やはり浅葱以外の人の言葉は聞き取りにくい。浅葱は異国の人間であるシュウのために、ゆっくりはっきり話すようにしてくれているのだろう。シュウは少し時間を置いて頷いた。
「浅葱、おまえもだ。何でもぺらぺらと喋るんじゃない」
「おれ別に何も喋ってないもん」
「あのな。僕は心配してやってるんだ」
 松葉は浅葱よりずっと年下に見えるが、会話の内容だけを聞いていると浅葱の方が年下のようだった。小言を言う母親に屁理屈で対応する息子みたいだ。
「ほい、着いたで」
 視線を前に向けると、いつの間にか木造の家が一軒立っていた。屋根は瓦ではなくて、乾燥した草木のようなものでできている。家の側面には縁側という板葺きの廊下が突き出るようについていて、部屋に通じる戸は木枠に白い紙が貼ってあるだけの心許ないものだ。家の周りには小さな畑があり、何種類かの野菜が植えられている中を数羽の鶏がのんびり散歩している。森の中に突然ぽっかりと穴をあけたように現れた、人間の生活空間だった。
「ここはおれの家。疲れたやろうし、ゆっくり休んでな」


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